フランツ・カフカ
Person
『変身』
ある
朝
Time
、
グレゴール・ザムザ
Person
が気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で
一匹
N_Animal
の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた
彼は
甲殻
Animal_Part
のように固い
背中
Animal_Part
を下にして横たわり、
頭
Animal_Part
を少し上げると、何本もの弓形の
すじ
Animal_Part
にわかれてこんもりと盛り上がっている自分の
茶色
Nature_Color
の
腹
Animal_Part
が見えた
腹
Animal_Part
の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた
ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの
足
Animal_Part
が自分の
眼
Animal_Part
の前にしょんぼりと光っていた
「おれはどうしたのだろう?」と、彼は思った
夢ではなかった
自分の部屋、少し小さすぎるがまともな部屋が、よく知っている
四つ
N_Product
の壁のあいだにあった
テーブルの上には布地の見本が包みをといて拡げられていたが――
ザムザ
Person
は旅廻りの
セールスマン
Position_Vocation
だった――、そのテーブルの上方の壁には写真がかかっている
それは彼がついさきごろあるグラフ雑誌から切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものだった
写っているのは
一人
N_Person
の婦人で、
毛皮
Clothing
の
帽子
Clothing
と
毛皮
Clothing
の
えり巻
Clothing
とをつけ、身体をきちんと起こし、
肘
Animal_Part
まですっぽり隠れてしまう重そうな
毛皮
Animal_Part
の
マフ
Clothing
を、見る者のほうに向ってかかげていた
グレゴール
Person
の視線はつぎに窓へ向けられた
陰鬱な天気は――雨だれが窓わくの
ブリキ
Fish
を打っている音が聞こえた――彼をすっかり憂鬱にした
「もう少し眠りつづけて、ばかばかしいことはみんな忘れてしまったら、どうだろう」と、考えたが、全然そうはいかなかった
というのは、彼は
右下
Animal_Part
で眠る習慣だったが、この今の状態ではそういう姿勢を取ることはできない
いくら力をこめて
右下
Animal_Part
になろうとしても、いつでも仰向けの姿勢にもどってしまうのだ
百回
Frequency
もそれを試み、
両眼
Animal_Part
を閉じて自分のもぞもぞ動いているたくさんの
脚
Animal_Part
を見ないでもすむようにしていたが、
わき腹
Animal_Part
にこれまでまだ感じたことのないような軽い
鈍痛
Animal_Disease
を感じ始めたときに、やっとそんなことをやるのはやめた
「ああ、なんという骨の折れる職業をおれは選んでしまったんだろう」と、彼は思った
「毎日、毎日、旅に出ているのだ
自分の土地での本来の商売におけるよりも、商売上の神経の疲れはずっと大きいし、その上、旅の苦労というものがかかっている
汽車の乗換え連絡、不規則で粗末な食事、たえず相手が変って長つづきせず、けっして心からうちとけ合うようなことのない人づき合い
まったくいまいましいことだ!」彼は
腹
Animal_Part
の上に軽いかゆみを感じ、
頭
Animal_Part
をもっとよくもたげることができるように仰向けのまま身体をゆっくりとベッドの柱のほうへずらせ、身体のかゆい場所を見つけた
その場所は小さな
白い
Nature_Color
斑点だけに被われていて、その斑点が何であるのか判断を下すことはできなかった
そこで、
一本
N_Natural_Object_Other
の
脚
Animal_Part
でその場所にさわろうとしたが、すぐに
脚
Animal_Part
を引っこめた
さわったら、身体に寒気がしたのだ
彼はまた以前の姿勢にもどった
「この早起きというのは」と、彼は思った、「
人間
Mammal
をまったく薄ばかにしてしまうのだ
人間
Mammal
は眠りをもたなければならない
ほかの
セールスマンたち
Position_Vocation
はまるで
ハレム
Ethnic_Group_Other
の女たちのような生活をしている
たとえばおれがまだ
午前中
Time
に宿へもどってきて、取ってきた注文を書きとめようとすると、やっとあの連中は朝食のテーブルについているところだ
そんなことをやったらおれの
店主
Position_Vocation
がなんていうか、見たいものだ
おれはすぐさまくびになってしまうだろう
ところで、そんなことをやるのがおれにとってあんまりいいことでないかどうか、だれにだってわかりはしない
両親のためにそんなことをひかえているのでなければ、もうとっくに辞職してしまっているだろう
店主の前に歩み出て、思うことを腹の底からぶちまけてやったことだろう
そうしたら店主は驚いて机から落っこちてしまうにちがいなかったのだ!机の上に腰かけて、高いところから
店員
Position_Vocation
と話をするというのも、奇妙なやりかただ
おまけに
店員
Position_Vocation
のほうは、店主の
耳
Animal_Part
が遠いときているので近くによっていかなければならないのだ
まあ、希望はまだすっかり捨てられてしまったわけではない
両親の借金をすっかり
店主
Position_Vocation
に払うだけの金を集めたら――まだ
五、六年
Period_Year
はかかるだろうが――きっとそれをやってみせる
とはいっても、今のところはまず起きなければならない
おれの汽車は
五時
Time
に出るのだ」そして、たんすの上でカチカチ鳴っている
目ざまし時計
Product_Other
のほうに
眼
Animal_Part
をやった
「しまった!」と、彼は思った
もう
六時半
Time
で、針は落ちつき払って進んでいく
半
Percent
もすぎて、もう四十五分に近づいている
目ざまし
Product_Other
が鳴らなかったのだろうか
ベッドから見ても、きちんと
四時
Time
に合わせてあったことがわかった
きっと鳴ったのだ
だが、あの部屋の家具をゆさぶるようなベルの音を安らかに聞きのがして眠っていたなんていうことがありうるだろうか
いや、けっして安らかに眠っていたわけではないが、おそらくそれだけにいっそうぐっすり眠っていたのだ
だが、今はどうしたらいいのだろう
つぎの汽車は
七時
Time
に出る
その汽車に間に合うためには、気ちがいのように急がなければならないだろう
そして、商品見本はまだ包装してないし、彼自身がそれほど気分がすぐれないし、活溌な感じもしないのだ
そして、たとい汽車に間に合ったとしてさえ、店主の雷は避けることができないのだ
というのは、店の
小使
Position_Vocation
は
五時
Time
の汽車に彼が乗るものと思って待っていて、彼が遅れたことをとっくに報告してしまっているはずだ
あの男は
店主
Position_Vocation
の
手先
Animal_Part
で、
背骨
Animal_Part
もなければ分別もない
ところで、病気だといって届け出たらどうだろうか
だが、そんなことをしたら、ひどく面倒になるし、疑いもかかるだろう
なにしろ、
グレゴール
Person
は
五年間
Period_Year
の勤めのあいだにまだ
一度
Frequency
だって病気になったことがないのだ
きっと店主は
健康保険医
Position_Vocation
をつれてやってきて、両親に向ってなまけ者の息子のことを非難し、どんなに異論を申し立てても、
保険医
Position_Vocation
を引合いに出してそれをさえぎってしまうことだろう
その
医師
Position_Vocation
にとっては、およそまったく健康なくせに仕事の嫌いな人間たちというものしかいないのだ
それに、今の場合、
医者
Position_Vocation
の考えもそれほどまちがっているだろうか
事実、
グレゴール
Person
は、長く眠ったのにほんとうに眠気が残っていることを別にすれば、まったく身体の調子がいい気がするし、とくに強い空腹さえ感じているのだった
ベッドを離れる決心をすることができないままに、そうしたすべてのことをひどく急いで考えていると――ちょうど
目ざまし時計
Product_Other
が
六時四十分
Time
を打った――、彼のベッドの
頭
Animal_Part
のほうにあるドアをノックする音がした
「
グレゴール
Character
」と、その声は叫んだ――母親だった――「
六時四十五分
Time
よ
出かけるつもりじゃないのかい?」ああ、あのやさしい声!
グレゴール
Person
は返事をする自分の声を聞いたとき、ぎくりとした
それはたしかにまぎれもなく彼の以前の声であったが、そのなかに下のほうから、抑えることのできない苦しそうなぴいぴいいう音がまじっていた
その音は、明らかにただ最初の瞬間においてだけは言葉の明瞭さを保たせておくのだが、その余韻をすっかり破壊してしまって、正しく聞き取ったかどうかわからないようにするほどだった
グレゴール
Person
はくわしく返事して、すべてを説明しようと思っていたのだったが、こうした事情では、「ええ、わかりましたよ、ありがとう、お母さん、もう起きますよ」と、いうにとどめた
木のドアが距てているため、
グレゴール
Person
の声の変化は外ではきっと気づかれなかったのだろう
というのは、母親はこの説明で満足して、
足
Animal_Part
をひきずって立ち去った
ところが、このちょっとした対話によって、
グレゴール
Person
が期待に反してまだ家にいるのだ、ということが家族のほかの者たちの注意をひいてしまった
そして、早くも父親がわきのドアを、軽くではあるが
拳
Animal_Part
でノックした
「
グレゴール
Person
、
グレゴール
Person
」と、父は叫んだ
「いったい、どうしたのだ?」そして、ちょっとたってから、もっと低い声でもう
一度
Frequency
注意するのだった
「
グレゴール
Person
!
グレゴール
Person
!」もう
一つ
Countx_Other
のわきのドアでは、妹が低い声で嘆くようにいった
「
グレゴール
Person
、どうしたの?かげんが悪いの?何か欲しいものはないの?」
グレゴール
Person
は両方に向っていった
「もうすんだよ」そして、発音に大いに気を使い、一つ一つの言葉のあいだに長い間をはさむことによっていっさいの目立つ点を取り除こうと努めた
父親はそれを聞いて
朝食
Time
へもどっていったが、妹はささやくのだった
「
グレゴール
Name_Other
、開けてちょうだいな
ね、お願い」だが、
グレゴール
Person
はドアを開けることなど考えてもみず、旅に出る習慣から身につけるようになった家でもすべてのドアに
夜
Time
のあいだ鍵をかけておくという用心をよかったと思った
はじめは、落ちつき払って、だれにもじゃまされずに起き上がり、服を着て、まず何よりさきに朝食を取ろう、それから、はじめてそれからのことを考えようと思ったのだった
というのは、ベッドのなかにいたのでは、あれこれ考えたところで理にかなった結論に到達することはあるまい、とはっきりと気づいたのだった
これまでしょっちゅうベッドのなかで、おそらくはまずい寝かたをしたためだろうが、そのために起った軽い痛みを感じた、ということを彼は思い出した
その痛みは、やがて起き上がってみるとまったくの空想だとわかったのだった
そして、自分のきょうのさまざまな考えごともだんだん消え去ることだろう、と大いに期待した
声の変化は旅廻りの
セールスマン
Position_Vocation
の職業病であるひどい
風邪
Animal_Disease
の前ぶれにすぎないのだ、ということを彼は少しも疑わなかった
かけぶとんをはねのけるのは、まったく簡単だった
ただちょっと
腹
Animal_Part
をふくらませるだけで、ふとんは自然とずり落ちた
だが、そのあとが面倒なことになった
その理由はことに彼の身体の幅がひどく広かったからだ
身体を起こすためには、
手足
Animal_Part
を使うはずだった
ところが、
人間
Mammal
の
手足
Animal_Part
のかわりにたくさんの小さな
脚
Animal_Part
がついていて、それがたえずひどくちがった動きかたをして、おまけにそれらを思うように動かすことができない
やっと
一本
N_Natural_Object_Other
の
脚
Animal_Part
を曲げようとすると、最初に起こることは、自分の身体がのびてしまうことだった
やっとその
脚
Animal_Part
で自分の思うようにすることに成功したかと思うと、そのあいだにほかのすべての
脚
Animal_Part
がまるで解放されたかのように、なんとも工合の悪い大さわぎをやるのだった
「ともかくベッドのなかに意味もなくとどまっていないことだ」と、
グレゴール
Person
は自分に言い聞かせた
まず彼は身体の下の部分を動かしてベッドから出ようとしたが、まだ自分で見てもいないし、正しい想像をめぐらすこともできないでいるこの
下半身
Animal_Part
の部分は、ひどく動かすことがむずかしいとわかった
動作はのろのろ進むだけだった
とうとう、まるで半狂乱になって、力をこめ、むちゃくちゃに身体を前へ突き出したが、方角を誤ってしまい、
足
Animal_Part
のほうのベッド柱にはげしくぶつかり、そのとき感じた痛みで、まさに自分の身体の下の部分が今のところいちばん敏感な部分なのだ、ということがわかった
そこで、まず最初に上体をベッドの外に出そうと試み、用心深く
頭
Animal_Part
をベッドのへりのほうに向けた
これは思ったとおりうまくいき、身体の幅が広く、体重も重いにもかかわらず、ついに身体全体が
頭
Animal_Part
の転回にのろのろとついて廻った
だが、
頭
Animal_Part
をとうとうベッドの外の宙に浮かべてみると、このやりかたでさらに前へ乗り出していくことが不安になった
というのは、こうやって最後に身体を下へ落してしまうと、
頭
Animal_Part
を傷つけまいとするならば奇蹟でも起こらなければできるものではない
そして、とくに今はどんなことがあっても正気を失うわけにはいかないのだ
そこで、むしろベッドにとどまっていようと心にきめた
だが、また同じように
骨
Animal_Part
を折って、溜息をもらしながら、さっきのように身体を横たえ、またもや自分のたくさんの小さな
脚
Animal_Part
がおそらくさっきよりもいっそうひどく争い合っているのをながめ、この勝手な争いに静けさと秩序とをもちこむことが不可能だとわかったときに、もうベッドのなかにとどまっていることはできない、たといベッドから出られるという希望がほんのちょっとしかないにしても、いっさいを犠牲にして出ようと試みるのがいちばん賢明なやりかたなのだ、とまた自分に言い聞かせた、だが同時に、やけになって決心するよりも冷静に、きわめて冷静に思いめぐらすほうがずっといいのだ、とときどき思い出すことを忘れなかった
そんなことを考えている瞬間に、
眼
Animal_Part
をできるだけ鋭く窓のほうへ向けたが、狭い通りのむこう側さえ見えなくしている朝もやをながめていても、残念ながらほとんど確信も元気も取りもどすわけにはいかなかった
「もう
七時
Time
だ」と、目ざましが新たに打つのを聞いて、彼は自分に言い聞かせた
「もう
七時
Time
だというのに、まだこんな霧だ」そして、完全に静かにしていればおそらくほんとうのあたりまえの状態がもどってくるのではないかといわんばかりに、しばらくのあいだ、静かに、微かな息づかいをしながら、横たわっていた
だが、やがて自分に言い聞かせた
「
七時十五分
Time
を打つ前に、おれはどうあってもベッドを完全に離れてしまっていなければならないぞ
それにまた、それまでには店からおれのことをききにだれかがやってくるだろう
店は
七時前
Time
に開けられるんだから」そして、今度は、身体全体を完全にむらなく横へゆすってベッドから出る動作に取りかかった
もしこんなふうにしてベッドから落ちるならば、
頭
Animal_Part
は落ちるときにぐっと起こしておこうと思うから、傷つかないですむ見込みがある
背中
Animal_Part
は固いようだ
だから、絨毯の上に落ちたときに、
背中
Animal_Part
にけがをすることはきっとないだろう
落ちるときに立てるにちがいない大きな物音のことを考えると、それがいちばん気にかかった
その音は、どのドアのむこうでも、驚きとまではいかないにしても、心配をひき起こすことだろう
だが、思いきってやらなければならないのだ
グレゴール
Person
がすでに
半分
Percent
ベッドから乗り出したとき――この新しいやりかたは、骨の折れる仕事というよりもむしろ遊びのようなもので、いつまでもただ断続的に身体をゆすってさえいればよかった――、自分を助けにやってきてくれる者がいれば万事はどんなに簡単にすむだろう、という考えがふと頭に浮かんだ
力の強い者が
二人
N_Person
いれば――彼は父親と
女中
Position_Vocation
とのことを考えた――それだけで完全に十分なのだ
その
二人
N_Person
がただ
腕
Animal_Part
を彼の円味をおびた
背中
Animal_Part
の下にさし入れ、そうやって彼をベッドからはぎ取るように離し、この荷物をもったまま身体をこごめ、つぎに彼が床の上で寝返りを打つのを用心深く待っていてくれさえすればよいのだ
床の上でならおそらくこれらのたくさんの
脚
Animal_Part
も存在意義があることになるだろう
ところで、すべてのドアに鍵がかかっていることはまったく別問題としても、ほんとうに助けを求めるべきだろうか
まったく苦境にあるにもかかわらず、彼はこう考えると微笑を抑えることができなかった
この作業は進行して、もっと強く身体をゆすればもうほとんど身体の均衡が保てないというところにまできていた
もうすぐ最後の決断をしなければならない
というのは、あと
五分
Period_Time
で
七時十五分
Time
になる
――そのとき、玄関でベルが鳴った
「店からだれかがきたんだ」と、彼は自分に言い聞かせ、ほとんど身体がこわばる思いがした
一方、小さな
脚
Animal_Part
のほうはただそれだけせわしげにばたばたするのだった
一瞬、あたりはしんとしていた
「ドアを開けないのだな」と、
グレゴール
Person
は何かばかげた期待にとらわれながら思った
だが、むろんすぐいつものように
女中
Position_Vocation
がしっかりした足取りでドアへ出ていき、ドアを開けた
グレゴール
Person
はただ訪問者の最初の挨拶を聞いただけで、それがだれか、早くもわかった
――それは支配人自身だった
なぜ
グレゴール
Person
だけが、ほんのちょっと遅刻しただけですぐ最大の疑いをかけるような商会に勤めるように運命づけられたのだろうか
いったい
使用人
Position_Vocation
のすべてが
一人
N_Person
の除外もなくやくざなのだろうか
たとい
朝
Time
のたった
一、二時間
Period_Time
は仕事のために使わなかったにせよ、良心の苛責のために気ちがいじみた有様になって、まさにそのためにベッドを離れられないような忠実で誠実な
人間
Mammal
が、
使用人たち
Position_Vocation
のあいだにはいないというのだろうか
小僧
Position_Vocation
にききにこさせるだけでほんとうに十分ではないだろうか――そもそもこうやって様子をたずねることが必要だとしてのことだが――
支配人が自身でやってこなければならないのだろうか
そして、支配人がやってくることによって、この疑わしい件の調査はただ支配人の分別にだけしかまかせられないのだ、ということを罪のない家族全体に見せつけられなくてはならないのか
ほんとうに決心がついたためというよりも、むしろこうしたもの思いによって置かれた興奮のために、
グレゴール
Person
は力いっぱいにベッドから跳び下りた
どすんと大きな音がしたが、それほどひどい物音ではなかった
絨毯がしいてあるため、墜落の力は少しは弱められたし、
背中
Animal_Part
も
グレゴール
Person
が考えていたよりは弾力があった
そこでそう際立って大きな鈍い物音はしなかった
ただ、
頭
Animal_Part
は十分用心してしっかりともたげていなかったので打ちつけてしまった
彼は怒りと痛みとのあまり
頭
Animal_Part
を廻して、絨毯にこすった
「あの部屋のなかで何か落ちる音がしましたね」と左側の隣室で
支配人
Position_Vocation
がいった
グレゴール
Person
は、けさ自分に起ったようなことがいつか
支配人
Position_Vocation
にも起こらないだろうか、と想像しようとした
そんなことが起こる可能性はみとめないわけにはいかないのだ
だが、まるで
グレゴール
Person
のこんな問いに乱暴に答えるかのように、隣室の
支配人
Position_Vocation
は今度は
一、二歩
N_Product
しっかりした足取りで歩いて、彼の
エナメル靴
Clothing
をきゅうきゅう鳴らした
グレゴール
Person
に知らせるため、右側の隣室からは妹のささやく声がした
「
グレゴール
Person
、
支配人
Position_Vocation
がきているのよ」「わかっているよ」と、
グレゴール
Person
はつぶやいた
しかし、妹が聞くことができるほどにあえて声を高めようとはしなかった
「
グレゴール
Name_Other
」と、今度は父親が左側の隣室からいった
「
支配人さん
Position_Vocation
がおいでになって、お前はなぜ
朝
Time
の汽車でたたなかったか、ときいておられる
なんと申し上げたらいいのか、わしらにはわからん
それに、
支配人さん
Position_Vocation
はお前とじかに話したいといっておられるよ
だから、ドアを開けてくれ
部屋が取り散らしてあることはお許し下さるさ」「おはよう、
ザムザ
Person
君
Title_Other
」と、父親の言葉にはさんで支配人は親しげに叫んだ
「あの子は身体の工合がよくないんです」と、母親は父親がまだドアのところでしゃべっているあいだに支配人に向っていった
「あの子は身体の工合がよくないんです
ほんとうなんです、
支配人さん
Position_Vocation
そうでなければどうして
グレゴール
Name_Other
が汽車に乗り遅れたりするでしょう!あの子は仕事のこと以外は頭にないんですもの
夜分
Time
にちっとも外へ出かけないことを、わたしはすでに腹を立てているくらいなんです
これで
一週間
Period_Week
も町にいるのに、あれは毎晩家にこもりきりでした
わたしたちのテーブルに坐って、静かに新聞を読むとか、汽車の時間表を調べるとかしているんです
糸のこ細工でもやっていれば、あの子にはもう気ばらしなんですからね
たとえばこのあいだも
二晩
Period_Day
か
三晩
Period_Time
かかって小さな
額ぶち
Animal_Part
をつくりました
どんなにうまくできたか、ごらんになれば驚かれるでしょうよ
あの部屋にかけてあります
グレゴール
Name_Other
がドアを開けましたら、すぐごらんになりますよ
ともかく、あなたがおいで下すって、ほんとによかったとわたしは思っております、
支配人さん
Position_Vocation
わたしたちだけでは
グレゴール
Person
にドアを開けさせるわけにはいかなかったでしょう
あの子はとても頑固者でしてねえ
でも、
朝
Time
にはなんでもないと申しておりましたが、あの子はきっと工合が悪いのですよ」「すぐいきますよ」と、
グレゴール
Person
はゆっくりと用心深くいったが、むこうの対話をひとことでも聞きもらすまいとして、身動きをしなかった
「奥さん、私にもそれ以外には考えようがありませんね」と、支配人はいった
「たいしたことでないといいんですが
とはいえ、一面では、われわれ商売人というものは、幸か不幸かはどちらでもいいのですが、少しぐらいかげんが悪いなんていうのは、商売のことを考えるとあっさり切り抜けてしまわなければならぬことがしょっちゅうありましてね」「では、
支配人さん
Position_Vocation
に入っていただいてかまわないね」と、いらいらした父親がたずね、ふたたびドアをノックした
「いけません」と、
グレゴール
Person
はいった
左側の隣室では気まずい沈黙がおとずれた
右側の隣室では妹がしくしく泣き始めた
なぜ妹はほかの連中のところへいかないのだろう
きっと今やっとベッドから出たばかりで、まだ服を着始めていなかったのだろう
それに、いったいなぜ泣くのだろう
おれが起きず、支配人を部屋へ入れないからか
おれが地位を失う危険があり、そうなると店主が古い借金のことをもち出して、またもや両親を追求するからだろうか
しかし、そんなことは今のところは不必要な心配というものだ
まだ
グレゴール
Person
はここにいて、自分の家族を見捨てようなどとは、ほんの少しだって考えてはいないのだ
今のところ絨毯の上にのうのうと寝ているし、彼の状態を知った者ならばだれだって本気で支配人を部屋に入れろなどと要求するはずはないのだ
だが、あとになれば適当な口実がたやすく見つかるはずのこんなちょっとした無礼なふるまいのために、
グレゴール
Person
がすぐに店から追い払われるなどということはありえない
そして、泣いたり説得しようとしたりして支配人の気を悪くさせるよりは、今は彼をそっとしておくほうがずっと賢明なやりかただ、というように
グレゴール
Person
には思われた
だが、ほかの人びとを当惑させ、彼らのふるまいがむりもないと思わせたのは、まさにこの
グレゴール
Person
の決心のつかない態度だった
「
ザムザ
Person
君
Title_Other
」と、
支配人
Position_Vocation
は今度は声を高めて叫んだ
「いったい、どうしたんだね?君は自分の部屋にバリケードを築いて閉じこもり、ただ、
イエス
Person
とかノーとだけしか返事をしない
ご両親にいらぬ大変なご心配をかけ、――これはただついでにいうんだが――君の商売上の義務をまったくあきれはてたやりかたでおこたっている
君のご両親と
社長
Position_Vocation
とにかわって話しているんだが、どうかまじめになってすぐはっきりした説明をしてもらいたい
私は驚いているよ、まったく
君という人は冷静な分別ある人間だと思っていたが、急に奇妙な気まぐれを見せつけてやろうと思い始めたようだね
社長
Position_Vocation
はけさ、君の欠勤の理由はあれだろうとほのめかして聞かせてくれはしたが――つまり最近君にまかせた回収金のことだ――、私はこの説明が当っているはずはない、とほんとうにほとんど誓いを立てんばかりにして取りなしておいた
ところが、こうやって君の理解しがたい頑固さを見せつけられては、ほんの少しでも君の味方をする気にはまったくなれないよ
それに、君の地位はけっしてそれほど安定したものじゃない
ほんとうは君にこうしたことを
二人
N_Person
きりでいうつもりだったが、君がこうやって無益に私に手間取らせるんだから、ご両親にも聞かれていけないとは思われなくなった
つまり君の最近の成績はひどく不満足なものだった
今はかくべつ商売がうまくいく季節ではない、ということはわれわれもみとめる
しかし、全然商売ができんなんていう季節はあるものではないよ
ザムザ
Person
君
Title_Other
、そんなものはあるはずがないよ」「でも、
支配人さん
Position_Vocation
」と、
グレゴール
Person
はわれを忘れて叫び、興奮のあまりほかのすべては忘れてしまった
「すぐ、今すぐ開けますよ
ちょっと身体の工合が悪いんです
目まい
Animal_Disease
がしたんです
それで起きることができませんでした
今もまだベッドに寝ているんです
でも、もうすっかりさっぱりしました
今、ベッドから降りるところです
ちょっとご辛抱下さい!まだ思ったほど調子がよくありません
でも、もうなおりました
病気というものはなんて急に
人間
Mammal
を襲ってくるものでしょう!
ゆうべ
Date
はまだまったく調子がよかったんです
両親がよく知っています
でも、もっと正確にいうと、ゆうべすでにちょっとした予感があったんです
人が見れば、きっと私のそんな様子に気がついたはずです
なぜ店に知らせておかなかったんでしょう!でも、病気なんて家で寝なくたってなおるだろう、といつでも思っているものですから
支配人さん
Position_Vocation
!両親をいたわってやって下さい!あなたが今、私におっしゃっている非難は、みんないわれがありません
これまでにそんなことは一ことだっていわれたことはありません
あなたはおそらく、私がお送りした最近の注文書類をまだ読んではおられないのでしょう
ともあれ、これから
八時
Time
の汽車で商用の旅に出かけます
一、二時間
Period_Time
休んだので、元気になりました
どうかお引き取り下さい、
支配人さん
Position_Vocation
私はすぐ自分で店へいきます
そして、すみませんがどうか
社長
Position_Vocation
にこのことを申し上げて下さい」そして、
グレゴール
Person
はこうしたことを急いでしゃべりまくり、自分が何をいっているのかほとんどわからなかったが、きっとベッドですでに習いおぼえた練習のおかげだろうか、たやすくたんすへ近づいて、それにすがって起き上がろうとした
ほんとうにドアを開け、ほんとうに姿を見せて、支配人と話そうと思ったのだった
今こんなに自分に会いたがっている人たちが、自分を見てなんというか、彼はそれを知りたくてたまらなかった
もし彼らがびっくりしたならば、もう
グレゴール
Person
には責任がないわけで、落ちついていることができる
ところで、もしみんなが平気でいるならば、彼としても興奮する理由はないし、急げば
八時
Time
にはほんとうに駅へいけるはずだ
最初、彼は
二、三回
Frequency
すべすべしたたんすから滑り落ちたが、ついに最後の
一跳び
Countx_Other
をやって立ち上がった
下半身
Animal_Part
の痛みは燃えるように痛んだが、もう全然気にもかけなかった
今度は、近くにあった椅子のもたれに身体を倒し、小さな
脚
Animal_Part
を使ってそのへりにしがみついた
それによって自分を抑えることができたので、しゃべることもやめた
というのは、今では支配人のいうことに耳を傾けることができるようになっていた
「息子さんのいわれることが一ことでもわかりましたか」と、
支配人
Position_Vocation
は両親にたずねた
「われわれをばかにしているんじゃないでしょうね?」「とんでもないことです」と、母親はもう泣きながら叫んだ
「あの子はきっと大病なんです
それなのにわたしたちはあの子を苦しめたりして
グレーテ
Park
!
グレーテ
Date
!」と、母親は大声でいった
「なあに?」と、妹が別な側から叫んだ
両方は
グレゴール
Person
の部屋越しに言葉を交わしていたのだ
「すぐ
お医者様
Position_Vocation
のところへいっておくれ
グレゴール
Person
が病気なんだよ
グレゴール
Person
が今しゃべったのを聞いたかい?」「ありゃあ、まるでけものの声だった」と、
支配人
Position_Vocation
がいったが、その言葉は母親の叫び声に比べると目立って低かった
「
アンナ
Person
!
アンナ
Person
!」と、父親は玄関の間越しに台所へ向って叫び、
手
Animal_Part
をたたいた
「すぐ鍵
屋
Position_Vocation
を呼んできてくれ!」すぐさま、
二人
N_Person
の娘は
スカート
Clothing
の音を立てながら玄関の間をかけ抜けていった――いったい妹はどうやってあんなに早く服を着たのだろう――
そして、玄関のドアをさっと開けた
ドアの閉じる音は全然聞こえなかった
二人
N_Person
はきっとドアを開け放しにしていったのだ
大きな不幸が起った家ではそうしたことはよくあるものだ
だが、
グレゴール
Person
はずっと平静になっていた
それでは、人びとはもう彼が何をいっているのかわからなかったのだ
自分の言葉ははっきりと、さっきよりもはっきりとしているように思えたのだが、おそらくそれは
耳
Animal_Part
が慣れたためなのだろう
それにしても、ともかく今はもう、彼の様子が普通でないということはみんなも信じており、彼を助けるつもりでいるのだ
最初の処置がとられたときの確信と冷静さとが、彼の気持をよくした
彼はまた
人間
Mammal
の仲間に入れられたと感じ、
医師
Position_Vocation
と
鍵屋
Position_Vocation
とをきちんと区別することなしに、この両者からすばらしく驚くべき成果を期待した
さし迫っている決定的な話合いのためにできるだけはっきりした声を準備しておこうと思って、少し咳払いしたが、とはいえすっかり音を抑えてやるように努力はした
おそらくこの物音も
人間
Mammal
の
咳払い
Animal_Disease
とはちがったふうに響くだろうと思われたからだった
彼自身、それを判断できるという自信はもうなくなっていた
そのあいだに、隣室はすっかり静まり返っていた
おそらく両親は支配人といっしょにテーブルのところに坐り、ひそひそ話しているのだろう
それとも、みんなドアに身をよせて、聞き耳を立てているのかもしれない
グレゴール
Person
は椅子といっしょにゆっくりとドアへ近づいていき、そこで椅子を放し、ドアに身体をぶつけて、それにすがってまっすぐに立ち上がった――小さな
足
Animal_Part
の裏の
ふくらみ
Animal_Part
には少しねばるものがついていたからだ
――そして、そこで一瞬のあいだ、これまで骨の折れた動作の休憩をした
それから、鍵穴にはまっている鍵を
口
Animal_Part
で廻す仕事に取りかかった
残念なことに、
歯
Animal_Part
らしいものがないようだった――なんですぐ鍵をつかんだらいいのだろうか――
ところが、そのかわり顎はむろんひどく頑丈で、その助けを借りて実際に鍵を動かすことができたが、疑いもなく身体のどこかを傷つけてしまったことには気づかなかった
傷ついたというのは、
褐色
Nature_Color
の液体が
口
Animal_Part
から流れ出し、鍵の上を流れて床へしたたり落ちたのだった
「さあ、あの音が聞こえませんか」と、隣室の
支配人
Position_Vocation
がいった
「鍵を廻していますよ」その言葉は、
グレゴール
Person
にとっては大いに元気づけになった
だが、みんなが彼に声援してくれたっていいはずなのだ
父親も母親もそうだ
「
グレゴール
Person
、しっかり
頑張って!鍵にしっかりとつかまれよ」と、両親も叫んでくれたっていいはずだ
そして、みんなが自分の努力を緊張して見守っているのだ、と思い描きながら、できるだけの力を振りしぼって気が遠くなるほど鍵にかみついた
鍵の回転が進行するにつれ、彼は鍵穴のまわりを踊るようにして廻っていった
今はただ
口
Animal_Part
だけで身体をまっすぐに立てていた
そして、必要に応じて鍵にぶらさがったり、つぎにまた自分の身体の重みを全部かけてそれを押し下げたりした
とうとう開いた鍵のぱちりという澄んだ音が、夢中だった
グレゴール
Character
をはっきり目ざませた
ほっと息をつきながら、彼は自分に言い聞かせた
「これなら
鍵屋
Position_Vocation
はいらなかったわけだ」そして、ドアをすっかり開けようとして、ドアの取手の上に
頭
Animal_Part
をのせた
彼はこんなふうにしてドアを開けなければならなかったので、ほんとうはドアがもうかなり開いたのに、彼自身の姿はまだ外からは見えなかった
まずゆっくりとドア板のまわりを伝わって廻っていかなければならなかった
しかも、部屋へ入る前にどさりと仰向けに落ちまいと思うならば、用心してやらなければならなかった
彼はまだその困難な動作にかかりきりになっていて、ほかのことに注意を向けるひまがなかったが、そのとき早くも支配人が声高く「おお!」と叫ぶのを聞いた――まるで風がさわぐときのように響いた――
そこで支配人の姿も見たが、ドアのいちばん近くにいた支配人はぽかりと開けた
口
Animal_Part
に
手
Animal_Part
をあてて、まるで
目
Animal_Part
に見えない一定の強さを保った力に追い払われるように、ゆっくりとあとしざりしていった
母親は――支配人がいるにもかかわらず、ゆうべからといてある逆立った
髪
Animal_Part
のままでそこに立っていたが――まず
両手
Animal_Part
を合わせて父親を見つめ、つぎに
グレゴール
Person
のほうに
二歩
N_Product
進み、身体のまわりにぱっと拡がった
スカート
Clothing
のまんなかにへなへなと坐りこんでしまった
顔
Animal_Part
は
胸
Animal_Part
へ向ってうなだれており、まったく見えなかった
父親は敵意をこめた表情で
拳
Animal_Part
を固め、まるで
グレゴール
Person
を彼の部屋へ突きもどそうとするようだった
そして、落ちつかぬ様子で居間を見廻し、つぎに
両手
Animal_Part
で
眼
Animal_Part
をおおうと、泣き出した
そこで父親の頑強そうな大きな
胸
Animal_Part
がうちふるえるのだった
グレゴール
Person
はむこうの部屋へは入っていかず、しっかりかけ金をかけてあるドア板に内側からよりかかっていたので、彼の身体は
半分
Percent
しか見えず、その上にのっている斜めにかしげた
頭
Animal_Part
が見えるのだった
彼はその
頭
Animal_Part
でほかの人びとのほうをのぞいていた
そのあいだに、あたりは前よりもずっと明るくなっていた
通りのむこう側には、向かい合って立っている限りなく長い
黒灰色
Color_Other
の建物の一部分が、はっきりと見えていた――病院なのだ――
その建物の前面は規則正しく並んだ窓によってぽかりぽかりと孔をあけられていた
雨はまだ降っていたが、一つ一つ見わけることのできるほどの大きな雨粒で、地上に落ちるしずくも
一つ一つ
N_Product
はっきりと見えた
テーブルの上には朝食用の食器がひどくたくさんのっていた
というのは、父親にとっては朝食は
一日
Period_Day
のいちばん大切な食事で、いろいろな新聞を読みながら何時間でも引き延ばすのだった
ちょうど
まむかい
Bird
の壁には、
軍隊時代
Era
の
グレゴール
Person
の写真がかかっている
中尉
Position_Vocation
の服装をして、
サーベル
Clothing
に手をかけ、のんきな微笑を浮かべながら、自分の姿勢と
軍服
Clothing
とに対して見る者の敬意を要求しているようだ
玄関の間へ通じるドアは開いており、玄関のドアも開いているので、ドアの前のたたきと建物の下へ通じる階段の上のほうとが見えた
「それでは」と、
グレゴール
Person
はいったが、自分が冷静さを保っているただ
一人
N_Person
の
人間
Mammal
なのだということをはっきりと意識していた
「すぐ服を着て、商品見本を荷造りし、出かけることにします
あなたがたは、私を出かけさせるつもりでしょうね?ところで、
支配人さん
Position_Vocation
、ごらんのとおり、私は頑固じゃありませんし、仕事は好きなんです
商用旅行は楽じゃありませんが、旅行しないでは生きることはできないでしょうよ
ところで、
支配人さん
Position_Vocation
、どちらへいらっしゃいますか?店へですか?万事をありのままに伝えて下さるでしょうね?だれだって、ちょっとのあいだ働くことができなくなることがありますが、そういうときこそ、それまでの成績を思い出して、そのあとで障害が除かれればきっとそれだけ勤勉に、それだけ精神を集中して働くだろう、ということを考えるべき時なのです
私は実際、
社長さん
Position_Vocation
をとてもありがたいと思っています
それはあなたもよくご存じのはずです
一方、両親と妹とのことも心配しています
私は板ばさみになっているわけですが、きっとまた切り抜けるでしょう
今でもむずかしいことになっているのに、もうこれ以上私の立場をむずかしくはしないで下さい
店でも私の味方になって下さいませんか
旅廻りの
セールスマン
Position_Vocation
なんて好かれません
それは私にもよくわかっています
セールスマン
Position_Vocation
はしこたまもうけて、それでいい暮しをやっている、と考えられているんです
そして、現実の姿もこうした偏見を改めるようにうながすものではないことも、私にはわかっています
でも、
支配人さん
Position_Vocation
、あなたはほかの
店員たち
Position_Vocation
よりも事情をよく見抜いておられます
いや、それどころか、ないしょの話ですが、
社長
Position_Vocation
自身よりもよく見抜いておられるんです
社長
Position_Vocation
は事業主としての立場があるため、判断を下す場合に
一人
N_Person
の
使用人
Position_Vocation
にとって不利なまちがいを犯すものなんです
あなたもよくご存じのように、ほとんど
一年じゅう
Period_Year
店の外にいる旅廻りの
セールスマン
Position_Vocation
は、かげ口や偶然やいわれのない苦情の犠牲になりやすく、そうしたものを防ぐことはまったくできないんです
というのも、そういうことの多くは全然耳に入ってこず、ただ疲れはてて旅を終えて帰宅したときにだけ、原因なんかもうわからないような悪い結果を自分の身体に感じることができるんですからね
支配人さん
Position_Vocation
、どうかお帰りになる前には、少なくとも私の申し上げたほんの一部分だけでももっともだ、と思って下すっていることを見せて下さるような言葉を
一こと
N_Product
おっしゃって下さい」だが支配人は、
グレゴール
Person
の最初の言葉を聞くと早くも身体をそむけ、ただぴくぴく動く
肩越し
Animal_Part
に、
唇
Animal_Part
をそっくり返らして
グレゴール
Person
のほうを見返るだけだった
そして、
グレゴール
Person
がしゃべっているあいだじゅう、一瞬のあいだもじっと立ってはいず、
グレゴール
Person
から
眼
Animal_Part
をはなさずにドアのほうへ遠ざかっていくのだった
とはいっても、まるでこの部屋を出ていってはならないという秘密の命令でもあるかのように、急がずにじわじわと離れていく
彼はついに玄関の間までいった
そして、彼が最後の
一足
N_Product
を居間から引き抜いたすばやい動作を見たならば、この人はそのときかかとにやけどをしたのだ、と思いかねないほどだった
で、玄関の間では、
右手
Animal_Part
をぐっと階段のほうにのばし、まるで階段ではこの世のものではない救いが自分を待ってくれているのだ、というような恰好だった
支配人をどんなことがあってもこんな気分で立ち去らせてはならない
そんなことをやったら店における自分の地位はきっとぎりぎりまであぶなくなるにちがいない、と
グレゴール
Person
は見て取った
両親にはそうしたことが彼ほどにはわかっていないのだ
両親は永年のうちに、
グレゴール
Name_Other
はこの店で一生心配がないのだ、という確信を築き上げてしまっているし、おまけに今は当面の心配ごとにあんまりかかりきりになっているので、先のことなど念頭にはない始末だった
だが、
グレゴール
Person
はこの先のことを心配したのだ
支配人を引きとめ、なだめ、確信させ、最後には味方にしなければならない
グレゴール
Person
と家族との未来はなんといってもそのことにかかっているのだ!ああ、妹がこの場にいてくれたらいいのに!妹はりこう者だ
さっきも、
グレゴール
Person
が落ちつき払って仰向けに寝ていたとき、泣いていた
それに、女には甘いあの
支配人
Position_Vocation
も、妹にくどかれれば意見を変えるだろう
妹なら玄関のドアを閉め、玄関の間で支配人の驚きを何とかなだめたことだろう
ところが、妹はちょうど居合わせず、
グレゴール
Person
自身がやらなければならないのだ
そこで、身体を動かす自分の現在の能力がどのくらいあるかもまだ全然わからないということを忘れ、また自分の話はおそらくは今度もきっと相手に聞き取ってはもらえないだろうということも忘れて、ドア板から離れ、開いている戸口を通って身体をずらしていき、支配人のところへいこうとした
支配人はもう玄関の前のたたきにある手すりに滑稽な恰好で
両手
Animal_Part
でしがみついていたのだった
ところが、
グレゴール
Person
はたちまち、何かつかまるものを求めながら小さな叫びを上げて、たくさんの小さな
脚
Animal_Part
を下にしたままばたりと落ちた
そうなるかならぬときに、彼はこの
朝
Time
はじめて身体が楽になるのを感じた
たくさんの小さな
脚
Animal_Part
はしっかと床を踏まえていた
それらの
脚
Animal_Part
は完全に思うままに動くのだ
それに気づくと、うれしかった
それらの
脚
Animal_Part
は、彼がいこうとするほうへ彼を運んでいこうとさえするのだった
そこで彼は早くも、いっさいの悩みはもうこれですっかり解消するばかりになったぞ、と思った
だが、その瞬間、抑えた動きのために身体をぶらぶらゆすりながら、母親からいくらも離れていないところで母親とちょうど向かい合って床の上に横たわったときに、まったく放心状態にあるように見えた母親ががばと高く跳び上がり、
両腕
Animal_Part
を大きく拡げ、
手
Animal_Part
の
指
Animal_Part
をみんな開いて、叫んだのだった
「助けて!どうか助けて!」まるで
グレゴール
Person
をよく見ようとするかのように、
頭
Animal_Part
を下に向けていたのだが、その恰好とは逆に思わず知らずうしろへすたすたと歩いていった
自分のうしろには食事の用意がしてあるテーブルがあることを忘れてしまっていた
そして、テーブルのところへいきつくと、放心したようになって急いでそれに
腰
Animal_Part
を下ろし、自分のすぐそばでひっくり返った大きなコーヒー・ポットからだくだく
コーヒー
Dish
が絨毯の上へこぼれ落ちるのにも全然気づかない様子だった
「お母さん、お母さん」と、
グレゴール
Person
は低い声で言い、母親のほうを見上げた
一瞬、支配人のことはまったく彼の念頭から去っていた
そのかわり、流れる
コーヒー
Dish
をながめて、何度か顎をぱくぱく動かさないではいられなかった
それを見て母親は改めて大きな叫び声を上げ、テーブルから逃げ出し、かけていった父親の
両腕
Animal_Part
のなかに倒れてしまった
しかし、今は
グレゴール
Person
には両親をかまっているひまがなかった
支配人はもう玄関の外の階段の上にいた
手すりの上に顎をのせ、最後にこちらのほうへ振り返っている
グレゴール
Person
はできるだけ確実に追いつこうとして、スタートを切った
支配人は何か勘づいたにちがいなかった
というのは、彼は何段も
一足
Countx_Other
跳びに降りると、姿を消してしまったのだった
逃げていきながらも、「ひゃあ!」と叫んだ
その叫び声が建物の階段部じゅうに響いた
まずいことに、支配人のこの逃亡は、それまで比較的落ちついていた父親をも混乱させたようだった
父親は自分でも支配人のあとを追っていくとか、あるいは少なくとも支配人のあとを追おうとする
グレゴール
Person
のじゃまをしないとかいうのではなくて、支配人が
帽子
Clothing
と
オーバー
Product_Other
といっしょに椅子の
一つ
N_Product
の上に置き忘れていったステッキを
右手
Animal_Part
でつかみ、
左手
Animal_Part
では大きな新聞をテーブルから取って、
足
Animal_Part
を踏み鳴らしながら、ステッキと新聞とを振って
グレゴール
Person
を彼の部屋へ追い返すことに取りかかった
グレゴール
Person
がいくら頼んでもだめだし、いくら頼んでも父親には聞き入れてもらえなかった
どんなにへりくだって
頭
Animal_Part
を廻してみても、父親はただいよいよ強く
足
Animal_Part
を踏み鳴らすだけだ
むこうでは母親が、寒い天候にもかかわらず窓を
一つ
N_Natural_Object_Other
開け放ち、身体をのり出して
顔
Animal_Part
を窓からずっと外に出したまま、
両手
Animal_Part
のなかに埋めている
通りと階段部とのあいだには強く吹き抜ける風が立って、窓のカーテンは吹きまくられ、テーブルの上の新聞はがさがさいうし、何枚かの新聞はばらばらになって床の上へ飛ばされた
父親は容赦なく追い立て、
野蛮
Ethnic_Group_Other
人
Position_Vocation
のようにしっしっというのだった
ところで、
グレゴール
Person
はまだあとしざりの練習は全然していなかったし、また実際、ひどくのろのろとしか進めなかった
グレゴール
Person
が向きを変えることさえできたら、すぐにも自分の部屋へいけたことだろうが、手間のかかる方向転換をやって父親をいらいらさせることを恐れたのだった
それに、いつ父親の
手
Animal_Part
ににぎられたステッキで
背中
Animal_Part
か
頭
Animal_Part
かに致命的な一撃をくらうかわからなかった
だが、結局のところ、向きを変えることのほかに残された手だてはなかった
というのは、びっくりしたことに、あとしざりしていくのではけっして方向をきちんと保つことができないとわかったのだった
そこで彼は、たえず不安げに父親のほうに
横眼
Animal_Part
を使いながら、できるだけすばやく向きを変え始めた
しかし、実のところその動作はひどくのろのろとしかできなかった
おそらく父親も彼の善意に気づいたのだろう
というのは、彼の動きのじゃまはしないで、ときどき遠くのほうからステッキの尖端でその方向転換の動作の指揮を取るような恰好をするのだった
父親のあの耐えがたいしっしっという追い立ての声さえなかったら、どんなによかったろう!それを聞くと、
グレゴール
Person
はまったく度を失ってしまう
もうほとんど向きを変え終ったというのに、いつでもこのしっしっという声に気を取られて、おろおろしてしまい、またもや少しばかりもとの方向へもどってしまうのだ
だが、とうとううまい工合に
頭
Animal_Part
がドアの
口
Animal_Part
まで達したが、ところが彼の身体の幅が広すぎて、すぐには通り抜けられないということがわかった
グレゴール
Person
が通るのに十分な通り路をつくるために、もう一方のドア板を開けてやるなどということは、今のような心の状態にある父親にはむろんのことまったく思いつくはずがなかった
父親の思いこんでいることは、ただもう
グレゴール
Character
をできるだけ早く部屋へいかせるということだけだった
グレゴール
Person
はまず立ち上がって、おそらくその恰好でドアを通り抜けることができるのだろうが、そのために
グレゴール
Person
がしなければならない廻りくどい準備も、父親はけっして許そうとはしないだろう
おそらく、まるで障害などはないかのように、今は格別にさわぎ立てて
グレゴール
Name_Other
を追い立てているのだ
グレゴール
Person
のうしろで聞こえているのは、もうこの世でただ
一人
N_Person
の父親の声のようには響かなかった
そして、ほんとうのところ、もう冗談ごとではなかった
そこで
グレゴール
Person
は、どうとでもなれという気持になって、ドアに身体を押しこんだ
身体の片側がもち上がり、彼はドア口に斜めに取りついてしまった
一方の
わき腹
Animal_Part
がすっかりすりむけ、
白色
Nature_Color
のドアにいやらしい
しみ
Animal_Part
がのこった
やがて彼はすっかりはさまってしまい、
ひとり
N_Person
ではもう動くこともできなかった
身体の一方の側の
脚
Animal_Part
はみな宙に浮かび上がってしまい、もう一方の側の
脚
Animal_Part
は痛いほど床に押しつけられている
――そのとき、父親がうしろから今はほんとうに助かる強い
一突き
N_Product
を彼の身体にくれた
そこで彼は、はげしく
血
Animal_Part
を流しながら、部屋のなかの遠くのほうまですっ飛んでいった
そこでドアがステッキでばたんと閉じられ、やがて、ついにあたりは静かになった
夕ぐれ
Time
の薄明りのなかで
グレゴール
Person
はやっと重苦しい失心したような眠りから目ざめた
きっと、別に妨げがなくともそれほど遅く目ざめるというようなことはなかったろう
というのは、十分に休んだし、眠りたりた感じであった
しかし、すばやい足音と玄関の間に通じるドアを用心深く閉める物音とで目をさまされたように思えるのだった
電気の街燈の光が
蒼白く
Color_Other
天井と家具の上部とに映っていたが、下にいる
グレゴール
Person
のまわりは暗かった
今やっとありがたみがわかった
触角でまだ不器用げに探りながら、身体をのろのろとドアのほうへずらしていって、そこで起ったことを見ようとした
身体の左側はただ
一本
N_Product
の長い不愉快に引きつる傷口のように思えたが、両側に並んでいる小さな
脚
Animal_Part
で本格的なびっこを引かなければならなかった
それに
一本
N_Natural_Object_Other
の
脚
Animal_Part
は
午前
Time
の事件のあいだに重傷を負っていた――ただ
一本
N_Natural_Object_Other
しか負傷していないことは、ほとんど奇蹟だった――
そして、その
脚
Animal_Part
は死んでうしろへひきずられていた
ドアのところでやっと、なんでそこまでおびきよせられていったのか、わかった
それは何か食べものの匂いだった
というのは、そこには甘い
ミルク
Food_Other
を容れた鉢があり、
ミルク
Food_Other
のなかには
白パン
Dish
の小さな
一切れ
N_Product
が浮かんでいた
彼はよろこびのあまりほとんど笑い出すところだった
朝
Time
よりも空腹はひどく、すぐ
眼
Animal_Part
の上まで
頭
Animal_Part
を
ミルク
Dish
のなかに突っこんだ
だが、間もなく失望して
頭
Animal_Part
を引っこめた
扱いにくい身体の左側のために食べることがむずかしいばかりでなく――そして、身体全体がふうふういいながら協力してやっと食べることができたのだ――、その上、ふだんは彼の好物の飲みものであり、きっと妹がそのために置いてくれたのだろうが、
ミルク
Food_Other
が全然うまくない
それどころか、ほとんど厭気をおぼえて鉢から身体をそむけ、部屋の中央へはってもどっていった
グレゴール
Person
がドアのすきまから見ると、居間にはガス燈がともっていた
ふだんはこの時刻には父親が
午後
Time
に出た新聞を母親に、そしてときどきは妹にも声を張り上げて読んで聞かせるのをつねにしていたのだが、今はまったく物音が聞こえなかった
妹がいつも彼に語ったり、手紙に書いたりしていたこの朗読は、おそらく最近ではおよそすたれてしまっていたようだった
だが、たしかに家は空ではないはずなのに、あたりもすっかり静まり返っていた
「家族はなんと静かな生活を送っているんだろう」と、
グレゴール
Person
は自分に言い聞かせ、暗闇のなかをじっと見つめながら、自分が両親と妹とにこんなりっぱな住居でこんな生活をさせることができることに大きな誇りをおぼえた
だが、もし今、あらゆる安静や幸福や満足が恐怖で終りを告げることになったらどうだろうか
こんな考えに迷いこんでしまわないように、
グレゴール
Person
はむしろ動き出し、部屋のなかをあちこちはい廻った
長い
夜
Time
のあいだに、
一度
Frequency
は一方の側のドアが、
一度
Frequency
はもう一方のが、ちょっとだけ開き、すぐにまた閉められた
だれかがきっと部屋のなかへ入る用事があったにちがいないのだが、それにしろためらいもあまりに大きかったのだ
そこで
グレゴール
Person
は居間へ通じるドアのすぐそばにとまっていて、ためらっている訪問者を部屋のなかへ入れるか、あるいは少なくともその訪問者がだれかを知ろうと決心していた
ところが、ドアはもう
二度
Frequency
と開かれず、
グレゴール
Person
が待っていたこともむなしかった
ドアがみな閉ざされていた
朝
Time
には、みんなが彼の部屋へ入ろうとしたのだったが、彼が
一つ
N_Facility
のドアを開け、ほかのドアも
昼
Time
のあいだに開けられたようなのに、今となってはだれもやってはこず、鍵も外側からさしこまれていた
夜
Time
遅くなってからやっと、居間の明りが消された
それで、両親と妹とがそんなに長いあいだ起きていたことが、たやすくわかった
というのは、はっきり聞き取ることができたのだが、そのとき
三人
N_Person
全部が
爪先
Animal_Part
で歩いて遠ざかっていったのだった
それでは
朝
Time
までもうだれも
グレゴール
Person
の部屋へは入ってこないというわけだ
だから、自分の生活をここでどういうふうに設計すべきか、じゃまされずにとっくり考える時間がたっぷりとあるわけだ
だが、彼が今べったり床にへばりつくようにしいられている天井の高いひろびろとした部屋は、なぜか理由を見出すことはできなかったけれども、彼の心を不安にした
なにしろ
五年来
Date
彼が住んでいた部屋なので、どうしてそんな気になるのかわからなかった
――そして、半ば無意識に身体の向きを変え、ちょっと恥かしい気持がないわけではなかったが、急いでソファの下にもぐりこんだ
そこでは、
背中
Animal_Part
が少し抑えつけられるし、
頭
Animal_Part
をもうもたげることができないにもかかわらず、すぐひどく居心地がよいように思われた
ただ、身体の幅が広すぎて、ソファの下にすっぽり入ることができないのが残念だった
そこに彼は
一晩
Period_Day
じゅういた
その
夜
Time
は、あるいは空腹のためにたえず
目
Animal_Part
をさまさせられながらもうとうとしたり、あるいは心配やはっきりしない希望に思いふけったりしながら、過ごしたのだった
そんな心配や希望を思っても結論は同じで、さしあたりは平静な態度を守り、忍耐と細心な遠慮とによって家族の者たちにさまざまな不快を耐えられるようにしてやらねばならぬという結論だった
そうした不快なことを彼の現在の状態においてはいつかは家族の者たちに与えないわけにはいかないのだ
つぎの
朝
Time
早く、まだほとんど
夜
Time
のうちだったが、
グレゴール
Person
は早くも固めたばかりの決心をためしてみる機会をもった
というのは、玄関の間のほうからほとんど完全に身づくろいした妹がドアを開け、緊張した様子でなかをのぞいたのだった
妹はすぐには彼の姿を見つけなかったが、彼がソファの下にいるのをみとめると――どこかにいるにきまっているではないか
飛んで逃げることなんかできなかったのだ――ひどく驚いたので、度を失ってしまって外側からふたたびドアをぴしゃりと閉めてしまった
だが、自分の態度を後悔してでもいるかのように、すぐまたドアを開け、重病人か見知らぬ
人間
Mammal
かのところにいるような恰好で
爪先
Animal_Part
で歩いて部屋のなかへ入ってきた
グレゴール
Person
は
頭
Animal_Part
をソファのへりのすぐ近くまでのばして、妹をながめた
ミルク
Food_Other
をほったらかしにしたのに気づくだろうか
しかもけっして食欲がないからではなかったのだ
また、彼の
口
Animal_Part
にもっと合うような別な食べものをもってくるのだろうか
妹が自分でそうしてくれないだろうか
妹にそのことを注意するくらいなら、飢え死したほうがましだ
それにもかかわらず、ほんとうはソファの下から跳び出して、妹の
足もと
Animal_Part
に身を投げ、何かうまいものをくれといいたくてたまらないのだった
ところが、妹はまだいっぱい入っている
ミルク
Food_Other
の鉢にすぐ気づいて、不思議そうな
顔
Animal_Part
をした
鉢からは少しばかりの
ミルク
Food_Other
がまわりにこぼれているだけだった
妹はすぐ鉢を取り上げたが、それも素手ではなくて、ぼろ切れでやるのだった
そして、鉢をもって出ていった
グレゴール
Person
は、妹がかわりに何をもってくるだろうかとひどく好奇心に駆られ、それについてじつにさまざまなことを考えてみた
しかし、妹が親切心から実際にもってきたものを、考えただけではあてることはできなかったにちがいない
彼の嗜好をためすため、いろいろなものを選んできて、それを全部、古い新聞紙の上に拡げたのだった
半分
Percent
腐った古い野菜、固まってしまった
白ソース
Dish
にくるまった夕食の食べ残りの
骨
Animal_Part
、
一粒
N_Natural_Object_Other
二粒
N_Product
の
乾ぶどう
Food_Other
と
アーモンド
Food_Other
、
グレゴール
Food_Other
が
二日前
Date
にまずくて食えないといった
チーズ
Food_Other
、何もぬってはない
パン
Dish
、
バター
Food_Other
をぬった
パン
Dish
、
バター
Food_Other
をぬり、塩味をつけた
パン
Dish
なおそのほかに、おそらく永久に
グレゴール
Character
専用ときめたらしい鉢を置いた
それには水がつがれてあった
そして、
グレゴール
Person
が自分の前では食べないだろうということを妹は知っているので、思いやりから急いで部屋を出ていき、さらに鍵さえかけてしまった
それというのも、好きなように気楽にして食べてもいいのだ、と
グレゴール
Person
にわからせるためなのだ
そこで食事に取りかかると、
グレゴール
Person
のたくさんの小さな
脚
Animal_Part
はがさがさいった
どうも傷はみなすでに完全に癒ったにちがいなかった
もう支障は感じなかった
彼はそのことに驚き、
一月以上
Date
も前に
ナイフ
Weapon
でほんの少しばかり
指
Animal_Part
を切ったが、その傷がおとといもまだかなり痛んだ、ということを考えた
「今では敏感さが減ったのかな」と、彼は思い、早くも
チーズ
Dish
をがつがつ食べ始めた
ほかのどの食べものよりも、この
チーズ
Food_Other
が、たちまち、彼を強くひきつけたのだった
つぎつぎと勢いきって、また満足のあまり
眼
Animal_Part
に
涙
Animal_Part
を浮かべながら、彼は
チーズ
Food_Other
、野菜、
ソース
Food_Other
と食べていった
ところが新鮮な食べものはうまくなかった
その匂いがまったく我慢できず、そのために食べようと思う品を少しばかりわきへ引きずっていったほどだった
もうとっくにすべてを平らげてしまい、その場でのうのうと横になっていたとき、妹は彼に引き下がるようにと合図するため、ゆっくりと鍵を廻した
彼はもうほとんどうとうとしていたのにもかかわらず、その音でたちまち驚かされてしまった
彼はまたソファの下へ急いでもぐった
だが、妹が部屋にいるほんの短い時間であっても、ソファの下にとどまっているのには、ひどい自制が必要だった
というのは、たっぷり食事をしたため、身体が少しふくらんで、ソファの下の狭い場所ではほとんど呼吸することができなかった
何度か微かに息がつまりそうになりながら、いくらか
涙
Animal_Part
が出てくる
眼
Animal_Part
で彼はながめたのだが、何も気づいていない妹は箒で残りものを掃き集めるばかりでなく、
グレゴール
Person
が全然手をつけなかった食べものまで、まるでもう使えないのだというように掃き集めた
そして、そうしたものを全部、バケツのなかへ捨て、木の蓋をして、それからいっさいのものを部屋の外へ運び出していった
妹が向きを変えるか変えないかのうちに、
グレゴール
Person
は早くもソファの下からはい出て、身体をのばし、息を入れた
こういうふうにして毎日
グレゴール
Person
は食事を与えられた
一回
Frequency
は
朝
Time
、両親と
女中
Position_Vocation
とがまだ眠っているときで、
二回目
Ordinal_Number
はみんなの昼食が終ったあとだ
というのは、食事後、両親はしばらく
昼寝
Time
をし、
女中
Position_Vocation
は妹から何か用事を言いつけられて使いに出される
たしかにみんなは
グレゴール
Character
を飢え死させようとはしなかったが、おそらく彼の食事についてはただ妹の口から伝え聞くという以上の我慢はできなかったのだろう
またきっと妹も、なにしろほんとうに両親は十分苦しんでいるのだから、おそらくほんのわずかな悲しみだけであってもはぶいてやろうとしているのだろう
あの最初の
朝
Time
、どんな口実によって
医者
Position_Vocation
と
鍵屋
Position_Vocation
とを家から追い返したのか、
グレゴール
Person
は全然知ることができなかった
というのは、彼のいうことは相手には聞き取れないので、
だれ一人
N_Person
として、そして妹までも、彼のほうでは他人のいうことがわかる、とは思わなかったのだ
そこで、妹が自分の部屋にいるときにも、ただときどき妹が溜息をもらしたり、
聖人
Position_Vocation
たちの名前を唱えるのを聞くだけで満足しなければならなかった
のちになって妹が少しはすべてのことに慣れるようになったときにはじめて、――完全に慣れるというようなことはむろんけっして問題とはならなかった――
グレゴール
Person
は親しさをこめた言葉とか、あるいはそう解釈される言葉とかをときどき小耳にはさむことができた
グレゴール
Person
が食事をさかんに片づけたときには、「ああ、きょうはおいしかったのね」と、妹は言い、しだいに数しげくくり返されるようになったそれと反対に手をつけていない場合には、ほとんど悲しげにこういうのがつねだった
「またみんな手をつけないであるわ」ところで、
グレゴール
Person
は直接にはニュースを聞くことができなかったけれども、隣室の話し声をいろいろ聞き取るのだった
人声が聞こえると、彼はすぐそれに近いドアのところへ急いでいき、身体全体をドアに圧しつける
ことにはじめのうちは、たといただこそこそ話にしろ、何か彼についてのことでないような話はなかった
二日
Period_Day
のあいだ、
三度
Rank
三度
Period_Day
の食事に、どうしたらいいのだろう、という相談をやっているのが聞かれた
ところで、食事と食事とのあいだの時間にも、同じ話題が語られるのだった
というのは、
だれ一人
N_Person
として
ひとり
N_Person
だけ留守をしようとしなかったし、またどんなことがあっても住居をすっかり空にすることはできなかったので、いつでも家には少なくとも家族のうちの
二人
N_Person
が残っているのだ
女中
Position_Vocation
も最初の日に――
女中
Position_Vocation
がこのできごとについて何を知っているのか、またどのくらい知っているのかは、あまり明らかではなかったが――すぐにひまをくれるようにと
膝
Animal_Part
をついて母親に頼み、その
十五分後
Period_Time
に家を出ていくときには、
涙
Animal_Part
ながらにひまを出してもらったことの礼をいった
まるでこの家で示してもらった最大の恩恵だとでもいうような調子だった
そして、だれも彼女に求めたわけでもないのに、ほんの少しでも人にはもらしませんから、などとひどく本気で誓うのだった
女中
Position_Vocation
がひまを取ったので、今では妹が母親といっしょに料理もしなければならなかった
とはいっても、それはたいして
骨
Animal_Part
が折れなかった
なにしろほとんど何も食べなかったのだ
グレゴール
Person
はくり返し聞いたのだが、だれかがほかの者に向って食べるようにとうながしてもむだで、出てくる返事といえばただ「いや、たくさん」とかいうような言葉だけにきまっていた
酒類もおそらく全然飲まないようだった
しょっちゅう妹は父親に、
ビール
Dish
を飲みたくないかとたずね、自分で取りにいくから、と心から申し出るのだが、それでも父親が黙っていると、父が世間態をはばかって心配している気持を取り除こうとして、門番の
おかみさん
Position_Vocation
に
ビール
Dish
を取りにいってもらってもいいのだ、というのだった
ところが父親は最後に大きな声で「いらない」と、いう
そして、それでもう
二度
Frequency
と
ビール
Dish
のことは話されなかった
最初の日のうちに、父親は早くも母親と妹とに向って財産状態とこれからの見通しとについてすっかり話して聞かせた
ときどきテーブルから立ち上がって、
五年前
Date
に自分の店が破産したときに救い出した小さな金庫から何か書きつけや帳簿をもってくるのだった
手のこんだ鍵を開け、つぎに探しているものを取り出したあとで鍵を閉める音が聞こえてきた
父親のそのときの説明は、一面では、
グレゴール
Person
が監禁生活をするようになって以来はじめてうれしく思ったことだった
グレゴール
Person
はそれまで、あの店から父親の手に残されたものは全然ないのだ、と考えていた
少なくとも父親は
グレゴール
Person
に対してその反対のことは全然いわなかった
もっとも
グレゴール
Person
もそのことについて父親にたずねたことはなかったのではあった
グレゴール
Person
がそのころ気を使っていたことは、家族全員を完全な絶望へ追いこんだ商売上の不幸をできるだけ早く家族の者たちに忘れさせるために全力をつくすということだった
そこであの当時彼は特別に熱心に働き始め、ほとんど
一夜
Period_Day
にしてつまらぬ
店員
Position_Vocation
から旅廻りの
セールスマン
Position_Vocation
となった
セールスマン
Position_Vocation
にはむろん金もうけのチャンスがいろいろあり、仕事の成果はすぐさま歩合の形で現金に変わり、それを家にもち帰って、驚きよろこぶ家族の
眼
Animal_Part
の前のテーブルの上にならべて見せることができた
あれはすばらしい時期だった
グレゴール
Person
はあとになってからも、家族全体の経費をまかなうことができ、また、事実まかなっただけの金をもうけはしたが、あのはじめのころのすばらしい時期は、少なくとも、あのころの輝かしさで
二度
Frequency
くり返されることはなかった
家人
Position_Vocation
も
グレゴール
Person
もそのことに慣れ、
家人
Position_Vocation
は感謝して金を受け取り、彼もよろこんで金を出すのだったが、特別な気持の温かさというものはもう起こらなかった
ただ妹だけは
グレゴール
Person
に対してまだ近い関係をもちつづけていた
グレゴール
Person
とはちがって音楽が大好きで、感動的なほどに
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
を弾くことができる妹を、来年になったら
音楽学校
Organization_Other
へ入れてやろう、というのが彼のひそかな計画だった
そうなるとひどく金がかかるが、そんなことは考慮しないし、またその金もなんとかしてつくることができるだろう
グレゴール
Person
が町に帰ってきてちょっと滞在するあいだには、しょっちゅう妹との会話に
音楽学校
Organization_Other
の話が出てくるのだったが、いつでもただ美しい夢物語にすぎず、その実現は考えられなかった
そして、両親もけっしてこんな無邪気な話を聞くのをよろこびはしなかった
だが、
グレゴール
Person
はきわめてはっきりとそのことを考えていたのであり、
クリスマス
Religious_Festival
の前夜にはそのことをおごそかに宣言するつもりだった
ドアにへばりついて身体をまっすぐに起こし、聞き耳を立てているあいだにも、今の自分の状態にはまったく無益なこうした考えが、彼の
頭
Animal_Part
を通り過ぎるのだった
ときどき、全身の疲れのためにもう全然聞いていることができなくなり、うっかりして
頭
Animal_Part
をドアにぶつけ、すぐにまたきちんと立てるのだった
というのは、そんなふうにして彼が立てるどんな小さな物音でも、隣室に聞こえ、みんなの
口
Animal_Part
をつぐませてしまうのだ
「また何をやっているんだろう」などと、しばらくして父親がいう
どうもドアのほうに向きなおっているらしい
それからやっと、中断された会話がふたたびだんだんと始められていく
グレゴール
Person
は十分に聞き取ったのだが――というのは、父親は説明をする場合に何度もくり返すのがつねだった
その理由は
一つ
Countx_Other
には彼自身がすでに長いあいだこうしたことに気を使わなくなっていたからであり、もう
一つ
Countx_Other
には母親が
一回
Frequency
聞いただけでは万事をすぐのみこめなかったからだ――、すべての不幸にもかかわらず、なるほどまったくわずかばかりのものではあるけれども昔の財産がまだ残っていて、手をつけないでおいた利子もそのあいだに少しばかり増えた、ということであった
その上、
グレゴール
Person
が毎月家に入れていた金も――彼は自分ではほんの
一グルデン
N_Natural_Object_Other
か
二グルデン
N_Location_Other
しか取らなかった――すっかり費われてしまったわけではなく、貯えられてちょっとした金額になっていた
グレゴール
Person
はドアの背後で熱心にうなずき、この思いがけなかった用心と倹約とをよろこんだ
ほんとうはこの余分な金で
社長
Position_Vocation
に対する父親の負債をもっと減らすことができ、この地位から離れることができる日もずっと近くなったことだろうが、今では父親の計らいは疑いもなくいっそうよかったわけだ
ところで、こんな金では家族の者が利息で生活していけるなどというのにはまったくたりない
おそらく家族を
一年
Period_Year
か、せいぜいのところ
二年ぐらい
Period_Year
支えていくのに十分なだけだろう
それ以上のものではなかった
つまり、ほんとうは手をつけてはならない、そしてまさかのときの用意に取っておかなければならない程度の金額にすぎなかった
生活費はかせがなければならない
ところで、父親は健康だがなにしろ老人で、もう
五年間
Period_Year
も全然仕事をせず、いずれにしてもあまり働けるという自信はない
骨
Animal_Part
は折れたが成果のあがらなかった生涯の最初の休暇であったこの
五年
Period_Year
のあいだに、すっかりふとってしまって、そのために身体も自由に動かなくなっていた
そこで母親が働かなければならないのだろうが、これが
喘息
Animal_Disease
もちで、家のなかを歩くのにさえ骨が折れる始末であって、
一日おき
Period_Day
に
呼吸困難に
Animal_Disease
陥り、開いた窓の前のソファの上で過ごさなければならない
すると妹がかせがなければならないというわけだが、これはまだ
十七歳
Age
の子供であり、これまでの生活ではひどく恵まれて育ってきたのだった
きれいな服を着て、たっぷりと眠り、家事の手伝いをし、ささやかな気ばらしにときどき加わり、何よりも
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
を弾く、という生活のしかただった
どうしてこんな妹がかせぐことができるだろうか
家族の話が金をかせがなければならないというこのことになると、はじめのうちは
グレゴール
Person
はいつもドアを離れて、ドアのそばにある冷たい
革
Material
のソファに身を投げるのだった
というのは、恥辱と悲しみのあまり身体がかっと熱くなるのだった
しばしば彼はそのソファの上で長い
夜
Time
をあかし、一瞬も眠らず、ただ何時間でも
革
Material
をむしっているのだった
あるいは、大変な労苦もいとわず、椅子を
一つ
N_Product
窓ぎわへ押していき、それから窓の手すりにはい上がって、椅子で身体を支えたまま窓によりかかっていた
以前窓からながめているときに感じた解放されるような気持でも思い出しているらしかった
というのは、実際、少し離れた事物も
一日
Period_Day
一日
Period_Day
とだんだんぼんやり見えるようになっていっていた
以前はしょっちゅう見えていまいましくてたまらなかった向う側の病院も、もう全然見えなくなっていた
静かな、しかしまったく都会的である
シャルロッテ街
Ship
に自分が住んでいるのだということをよく知っていなかったならば、彼の窓から見えるのは、
灰色
Nature_Color
の空と
灰色
Nature_Color
の大地とが見わけられないくらいにつながっている荒野なのだ、と思いかねない有様だった
注意深い妹は
二度
Frequency
だけ椅子が窓ぎわにあるのに気づいたにちがいなかったが、それからは部屋の掃除をしたあとでいつでも椅子をきちんと窓べに押してやり、おまけにそのときからは内側の窓も開け放しておいた
もし
グレゴール
Person
が妹と話すことができ、彼女が自分のためにしなければならないこうしたすべてのことに対して礼をいうことができるのであったら、彼女の奉仕をもっと気軽に受けることができただろう
ところが、彼はそれが苦しくてたまらなかった
妹はむろん、いっさいのことのつらい思いをぬぐい去ろうと努めていたし、時がたつにつれてむろんだんだんそれがうまくいくようになったのだが、
グレゴール
Person
も時間がたつとともにいっさいをはじめのころよりもずっと正確に見て取るようになった
妹が部屋へ
足
Animal_Part
を踏み入れるだけで、彼には恐ろしくてならなかった
ふだんは
グレゴール
Person
の部屋をだれにも見せまいと気をくばっているのだが、部屋に入ってくるやいなや、ドアを閉める手間さえかけようとせず、まっすぐに窓へと走りよって、まるで息がつまりそうだといわんばかりの恰好であわただしく
両手
Animal_Part
で窓を開き、まだいくら寒くてもしばらく窓ぎわに立ったままでいて、深呼吸する
こうやって走ってさわがしい音を立てることで、
グレゴール
Character
を
日
Period_Day
に
二度
Frequency
びっくりさせるのだ
そのあいだじゅう、彼はソファの下でふるえていた
だが彼にはよくわかるのだが、もし
グレゴール
Person
がいる部屋で窓を閉め切っていることができるものならば、きっとこんなことはやりたくはないのだ
あるとき、
グレゴール
Person
の変身が起ってから早くも
一月
Date
がたっていたし、妹ももう
グレゴール
Person
の姿を見てびっくりしてしまうかくべつの理由などはなくなっていたのだが、妹はいつもよりも少し早くやってきて、
グレゴール
Person
が身動きもしないで、ほんとうにおどかすような恰好で身体を立てたまま、窓から外をながめている場面にぶつかった
妹が部屋に入ってこなかったとしても、
グレゴール
Person
にとっては意外ではなかったろう
なにしろそういう姿勢を取っていることで、すぐに窓を開けるじゃまをしていたわけだからだ
ところが、妹はなかへ入ってこないばかりか、うしろへ飛びのいて、ドアを閉めてしまった
見知らぬ者ならば、
グレゴール
Person
が妹のくるのを待ちうかがっていて、妹にかみつこうとしているのだ、と思ったことだろう
グレゴール
Person
はむろんすぐソファの下に身を隠したが、妹がまたやってくるまでには
正午
Time
まで待たねばならなかった
そのことから、自分の姿を見ることは妹にはまだ我慢がならないのだし、これからも妹にはずっと我慢できないにちがいない、ソファの下から出ているほんのわずかな身体の部分を見ただけでも逃げ出したいくらいで、逃げ出していかないのはよほど自分を抑えているにちがいないのだ、と彼ははっきり知った
妹に自分の姿を見せないために、彼はある日、
背中
Animal_Part
に
麻布
Mineral
をのせてソファの上まで運んでいった
――この仕事には
四時間
Period_Time
もかかった――そして、自分の身体がすっかり隠れてしまうように、また妹がかがみこんでも見えないようにした
もしこの
麻布
Broadcast_Program
は不必要だと妹が思うならば、妹はそれを取り払ってしまうこともできるだろう
というのは、身体をこんなふうにすっかり閉じこめてしまうことは、
グレゴール
Person
にとってなぐさみごとなんかではないからだ
ところが、妹は
麻布
Location_Other
をそのままにしておいた
おまけに
グレゴール
Name_Other
が
一度
Frequency
頭
Animal_Part
で
麻布
Fish
を用心深く少しばかり上げて、妹がこの新しいしかけをどう思っているのか見ようとしたとき、妹の
眼
Animal_Part
に感謝の色さえ見て取ったように思ったのだった
最初の
二週間
Period_Week
には、両親はどうしても彼の部屋に入ってくることができなかった
これまで両親は妹を役立たずの娘と思っていたのでしばしば腹を立てていたが、今の妹の仕事ぶりを完全にみとめていることを、
グレゴール
Person
はしばしば聞いた
ところが両親はしばしば、妹が
グレゴール
Person
の部屋で掃除しているあいだ、
二人
N_Person
で彼の部屋の前に待ちかまえていて、妹が出てくるやいなや、部屋のなかがどんな様子であるか、
グレゴール
Person
が何を食べたか、そのとき彼がどんな態度を取ったか、きっとちょっと快方へ向いているのが見られたのでないか、などと語って聞かせなければならなかった
ところで母親のほうは比較的早く
グレゴール
Character
を訪ねてみようと思ったのだったが、父親と妹とがまずいろいろ理にかなった理由を挙げて母親を押しとどめた
それらの理由を
グレゴール
Person
はきわめて注意深く聞いていたが、いずれもまったく正しいと思った
ところが、あとになると母親を力ずくでとどめなければならなかった
そして、とめられた母親が「
グレゴール
Person
のところへいかせて!あの子はわたしのかわいそうな息子なんだから!わたしがあの子のところへいかないではいられないということが、あんたたちにはわからないの?」と叫ぶときには、むろん毎日ではないがおそらく週に
一度
Frequency
は母親が入ってきたほうがいいのではないか、と
グレゴール
Person
は思った
なんといっても母親のほうが妹よりは万事をよく心得ているのだ
妹はいくらけなげとはいってもまだ子供で、結局は子供らしい軽率さからこんなにむずかしい任務を引き受けているのだ
母親に会いたいという
グレゴール
Person
の願いは、まもなくかなえられた
昼
Time
のあいだは両親のことを考えて窓ぎわにはいくまい、と
グレゴール
Person
は考えていたが、
一、二メートル四方
Physical_Extent
の床の上ではたいしてはい廻るわけにいかなかったし、床の上にじっとしていることは
夜なか
Time
であっても我慢することがむずかしく、食べものもやがてもう少しも楽しみではなくなっていたので、気ばらしのために壁の上や天井を縦横
十文字
N_Product
にはい廻る習慣を身につけていた
とくに上の天井にぶら下がっているのが好きだった
床の上にじっとしているのとはまったくちがう
息がいっそう自由につけるし、軽い振動が身体のなかを伝わっていく
そして、
グレゴール
Person
が天井にぶら下がってほとんど幸福な放心状態にあるとき、
脚
Animal_Part
を放して床の上へどすんと落ちて自分でも驚くことがあった
だが、今ではむろん以前とはちがって自分の身体を自由にすることができ、こんな大きな墜落のときでさえけがをすることはなかった
妹は、
グレゴール
Person
が自分で考え出したこの新しいなぐさみにすぐ気づき――実際、彼ははい廻るときに身体から出る
粘液
Animal_Part
の跡をところどころに残すのだった、――
グレゴール
Person
がはい廻るのを最大の規模で可能にさせてやろうということを考え、そのじゃまになる家具、ことに何よりもたんすと机とを取り払おうとした
ところが、その仕事は
ひとり
N_Person
ではやれなかった
父親の助けを借りようとは思わなかったし、
女中
Position_Vocation
もきっとそれほど役には立たないだろう
というのは、この
十六歳
Age
ばかりの少女は、前の料理女がひまを取ってからけなげに我慢していたが、台所の鍵はたえずかけておいて、ただ特別に呼ばれたときだけ開けるだけでよいということにしてくれ、と願い出て、許されていたのだった
そこで妹としては、父親がいないときを見計らって母親をつれていくよりほかに方法がなかった
興奮したよろこびの声を挙げて母親はやってきたが、
グレゴール
Person
の部屋のドアの前で黙りこんでしまった
はじめはむろん妹が部屋のなかが万事ちゃんとしているかどうかを検分したが、つぎにやっと母親を入らせた
グレゴール
Person
は大急ぎで
麻布
Element
をいっそう深く、またいつもよりしわをたくさんつくってひっかぶった
全体は実際にただ偶然ソファの上に投げられた
麻布
Mineral
のように見えるだけだった
グレゴール
Person
は今度も、
麻布
Location_Other
の下でこっそり様子をうかがうことをやめなかった
今回すぐ母親を見ることは断念した
ただ、母親がやってきたことだけをよろこんだ
「いらっしゃいな、見えないわよ」と、妹がいった
母親の
手
Animal_Part
を引っ張っているらしかった
二人
N_Person
のかよわい女が相当重い古たんすを置き場所から動かし、無理をするのでないかと恐れる母親のいましめの言葉を聞こうとしないで妹がたえず仕事の大部分を自分の身に引き受けている様子を、
グレゴール
Person
は聞いていた
ひどく時間がかかった
十五分
Period_Time
もかかった仕事のあとで、母親はたんすはやっぱりこの部屋に置いておくほうがいいのでないか、と言い出した
第一
Ordinal_Number
に、重すぎて、
二人
N_Person
で父親の帰ってくるまでに片づけることはできないだろう
それで部屋のまんなかにたんすが残ることになったら、
グレゴール
Person
の動き廻るのにじゃまになるだろう
第二
Ordinal_Number
に、家具を取り片づけたら
グレゴール
Person
がどう思うことかわかったものではない
自分は今のままにしておくほうがいいように思う
何もない裸の壁をながめると、
胸
Animal_Part
がしめつけられるような気がする
そして、どうして
グレゴール
Person
だってそんな気持がしないはずがあろうか
あの子はずっと部屋の家具に慣れ親しんできたのだから、がらんとした部屋では見捨てられてしまったような気がするだろう
「それに、こんなことをしたら」と、最後に母親は声を低めた
それまでも、ほとんどささやくようにものをいって、
グレゴール
Person
がどこにいるのかはっきり知らないままに、声の響きさえも
グレゴール
Person
に聞かれることを避けたいと思っているようであった
グレゴール
Person
が人の言葉を聞きわけることはできない、と母親は確信しているのだ
「それに、こんなことをしたら、まるで家具を片づけることによって、わたしたちがあの子のよくなることをまったくあきらめてしまい、あの子のことをかまわずにほったらかしにしているということを見せつけるようなものじゃないかい?わたしたちが部屋をすっかり以前のままにしておくように努め、
グレゴール
Person
がまたわたしたちのところへもどってきたときに、なんにも変っていないことを見て、それだけたやすくそれまでのことが忘れられるようにしておくことがいちばんいい、とわたしは思うよ」母親のこうした言葉を聞いて、直接の人間的な話しかけが自分に欠けていることが、家族のあいだの単調な生活と結びついて、この
二カ月
Period_Month
のあいだにすっかり自分の
頭
Animal_Part
を混乱させてしまったにちがいない、と
グレゴール
Person
は知った
というのは、自分の部屋がすっかり空っぽにされたほうがいいなどとまじめに思うようでは、そうとでも考えなければほかに説明のしようがなかった
彼はほんとうに、先祖伝来の家具をいかにも気持よく置いているこの暖かい部屋を洞窟に変えるつもりなのだろうか
がらんどうになればむろんあらゆる方向に障害なくはい廻ることができるだろうが、しかし自分の人間的な過去を同時にたちまちすっかり忘れてしまうのではなかろうか
今はすでにすっかり忘れようとしているのではないだろうか
そして、長いあいだ聞かなかった母親の声だけがやっと彼の心を正気にもどしたのではあるまいか
何一つ取りのけてはならない
みんなもとのままに残されていなければならない
家具が自分の状態の上に及ぼすいい影響というものがなくてはならない
そして、たとい家具が意味もなくはい廻るじゃまになっても、それは損害ではなくて、大きな利益なのだ
ところが、妹の考えは残念なことにちがっていた
妹は
グレゴール
Character
に関する件の話合いでは両親に対して特別事情に明るい人間としての態度を取ることに慣れていたし、それもまんざら不当とはいえなかった
そこで今の場合にも、母親の忠告は妹にとって、彼女が
ひとり
N_Person
ではじめ動かそうと考えていたたんすと机とを片づけるだけではなく、どうしてもなくてはならないソファは例外として、家具全体を片づけようと固執する十分な理由であった
妹がこうした要求をもち出すようになったのは、むろんただ子供らしい反抗心と、最近思いがけなくも、そして苦労してやっと手に入れた自信とのためばかりではなかった
実際、妹は
グレゴール
Person
がはい廻るのには広い場所が必要で、それに反して家具はだれも見て取ることができるようにほんの少しでも役に立つわけではない、ということを見て取っていたのだった
だが、おそらくは彼女の年ごろの少女らしい熱中もそれに加わったのだろう
そういう熱中しやすい心は、どんな機会にも満足を見出そうと努めているのであって、今はこの
グレーテ
Person
という少女を通じて、
グレゴール
Person
の状態をもっと恐ろしいものにして、つぎに今まで以上に
グレゴール
Person
のために働きたいという誘惑にかられているのだ
というのは、がらんとした四方の壁を
グレゴール
Person
がまったく
ひとり
N_Person
で支配しているような部屋には、
グレーテ
Person
以外のどんな
人間
Mammal
でもけっしてあえて入ってこようとはしないだろう
そこで妹は母親の忠告によって自分の決心をひるがえさせられたりしてはいなかった
母親はこの部屋でももっぱら不安のためにおろおろしているように見えたが、まもなく黙ってしまい、たんすを運び出すことで力の限り妹を手伝っていた
ところで、たんすはやむをえないとあれば
グレゴール
Person
としてもなしですませることができたが、机のほうはどうしても残さなければならない
二人
N_Person
の女がはあはあ言いながらたんすを押して部屋を出ていくやいなや、
グレゴール
Person
はソファの下から
頭
Animal_Part
を突き出し、どうやったら用心深く、できるだけおだやかにこの取り片づけに干渉できるかを見ようとした
だが、あいにく、はじめにもどってきたのは母親だった
グレーテ
Name_Other
のほうは隣室でたんすにしがみつき、それを
ひとり
N_Person
であちこちとゆすっていたが、むろんたんすの位置を動かすことはできなかった
だが、母親は
グレゴール
Character
の姿を見ることに慣れていない
姿を見せたら、母親を病気にしてしまうかもしれない
そこで
グレゴール
Person
は驚いてあとしざりしてソファの別なはしまで急いでいった
だが、
麻布
Location_Other
の前が少しばかり動くことを妨げることはもうできなかった
それだけで母親の注意をひくのには十分だった
母親はぴたりと
足
Animal_Part
をとめ、一瞬じっと立っていたが、つぎに
グレーテ
Name_Other
のところへもどっていった
実のところ何も異常なことが起っているわけではない、ただ
一つ二つ
N_Product
の家具が置き変えられるだけだ、と
グレゴール
Person
は何度か自分に言い聞かせたにもかかわらず、彼はまもなくみとめないわけにはいかなくなったのだが、この女たちの出たり入ったり、彼女らの小さなかけ声、床の上で家具のきしむ音、それらはまるで四方から数を増していく大群集のように彼に働きかけ、
頭
Animal_Part
と
脚
Animal_Part
とをしっかとちぢめて身体を床にぴったりとつけていたけれども、おれはもうこうしたことのすべてを我慢できなくなるだろう、とどうしても自分に言い聞かせないではいられなくなった
女たちは彼の部屋を片づけているのだ
彼にとって親しかったいっさいのものを取り上げるのだ
糸のこやそのほかの道具類が入っているたんすは、
二人
N_Person
の
手
Animal_Part
でもう運び出されてしまった
今度は、床にしっかとめりこんでいる机をぐらぐら動かしている
彼は
商科
Organization_Other
大学
School
の
学生
Position_Vocation
として、中学校の
生徒
Position_Vocation
として、いやそればかりでなく小学校の
生徒
Position_Vocation
として、あの机の上で宿題をやったものだった
――もう実際、
二人
N_Person
の女たちの善意の意図をためしているひまなんかないのだ
それに彼は
二人
N_Person
がいることなどはほとんど忘れていた
というのは、
二人
N_Person
は疲れてしまったためにもう無言で立ち働いていて、彼女たちのどたばたいう重い足音だけしか聞こえなかった
そこで彼ははい出ていき――女たちはちょうど隣室で少しばかり息を入れようとして机によりかかっているところだった――進む方向を
四度
Frequency
変えたが、まず何を救うべきか、ほんとうにわからなかった
そのとき、ほかはすっかりがらんとしてしまった壁に、すぐ目立つように例の
毛皮
Animal_Part
ずくめの貴婦人の写真がかかっているのを見た
そこで、急いではい上がっていき、
額
Animal_Part
の
ガラス
Material
にぴたりと身体を押しつけた
ガラス
Material
はしっかりと彼の身体をささえ、彼の熱い
腹
Animal_Part
に快感を与えた
少なくとも、
グレゴール
Person
が今こうやってすっかり被い隠しているこの写真だけはきっとだれももち去りはすまい
彼は女たちがもどってくるのを見ようとして、居間のドアのほうへ
頭
Animal_Part
を向けた
母と妹とはそれほど休息を取ってはいないで、早くももどってきた
グレーテ
Person
は母親の身体に
片腕
Animal_Part
を廻し、ほとんど抱き運ぶような恰好だった
「それじゃ、今度は何をもっていきましょう」と、
グレーテ
Name_Other
はいって、あたりを見廻した
そのとき、彼女のまなざしと壁の上にいる
グレゴール
Person
のまなざしとが交叉した
きっとただ母親がこの場にいるというだけの理由で度を失わないように気を取りなおしたのだろう
母親があたりを見廻さないように、妹は
顔
Animal_Part
を母親のほうに曲げて、つぎのようにいった
とはいっても、ふるえながら、よく考えてもみないでいった言葉だった
「いらっしゃい、ちょっと居間にもどらない?」
グレーテ
Person
の意図は
グレゴール
Person
には明らかであった
母親を安全なところへつれ出し、それから彼を壁から追い払おうというのだ
だが、そんなことをやってみるがいい!彼は写真の上に坐りこんで、渡しはしない
それどころか、
グレーテ
Nature_Color
の
顔
Animal_Part
めがけて飛びつこうという身構えだ
ところが、
グレーテ
Person
がそんなことをいったことが母親をますます不安にしてしまった
母親はわきへよって、花模様の壁紙の上に大きな
褐色
Nature_Color
の
一つ
Countx_Other
の斑点をみとめた
そして、自分の見たものが
グレゴール
Character
だとほんとうに意識するより前に、あらあらしい叫び声で「ああ、ああ!」というなり、まるでいっさいを放棄するかのように
両腕
Animal_Part
を拡げてソファの上に倒れてしまい、身動きもしなくなった
「
グレゴール
Person
ったら!」と、妹は
拳
Animal_Part
を振り上げ、はげしい
眼つき
Animal_Part
で叫んだ
これは変身以来、妹が彼に向って直接いった最初の言葉だった
妹は母親を気絶から目ざめさせるための気つけ薬を何か取りに隣室へかけていった
グレゴール
Person
も手伝いたかった
――写真を救うにはまだ余裕があった――だが、彼は
ガラス
Material
にしっかとへばりついていて、身体を引き離すためには無理しなければならなかった
それから自分も隣室へ入っていった
まるで以前のように妹に何か忠告を与えてやれると、いわんばかりであった
だが、何もやれないでむなしく妹のうしろに立っていなければならなかった
いろいろ小壜をひっかき廻していた妹は、振り返ってみて、またびっくりした
壜が床の上に落ちて、くだけた
一つ
N_Product
の破片が
グレゴール
Person
の
顔
Animal_Part
を傷つけた
何か腐蝕性の薬品が彼の身体のまわりに流れた
グレーテ
Name_Other
は長いことそこにとどまってはいないで、
手
Animal_Part
にもてるだけ多くの小壜をもって、母親のところへかけていった
ドアは
足
Animal_Part
でぴしゃりと閉めた
グレゴール
Person
は今は母親から遮断されてしまった
その母親は彼の罪によっておそらくほとんど死にそうになっているのだ
ドアを開けてはならなかった
自分が入っていくことによって、母親のそばにいなければならない妹を追い立てたくはなかった
今は待っているよりほかになんの手だてもなかった
そして、自責と心配とに駆り立てられて、はい廻り始め、すべてのものの上をはっていった
壁の上も家具や天井の上もはって歩き、とうとう絶望のうちに、彼のまわりの部屋全体がぐるぐる廻り始めたときに、大きなテーブルの上にどたりと落ちた
ちょっとばかり時が流れた
グレゴール
Person
は疲れ果ててそこに横たわっていた
あたりは静まり返っている
きっといいしるしなのだろう
そのとき、玄関のベルが鳴った
女中
Position_Vocation
はむろん台所に閉じこめられているので、
グレーテ
Name_Other
が開けなければならなかった
父親が帰ってきたのだった
「何が起ったんだ?」というのが彼の最初の言葉だった
グレーテ
Person
の様子がきっとすべてを物語っているにちがいなかった
グレーテ
Name_Other
は息苦しそうな声で答えていたが、きっと
顔
Animal_Part
を父親の
胸
Animal_Part
にあてているらしい
「お母さんが気絶したの
でももうよくなったわ
グレゴール
Person
がはい出したの」「そうなるだろうと思っていた」と、父親がいった
「わしはいつもお前たちにいったのに、お前たち女はいうことを聞こうとしないからだ」父親が
グレーテ
Person
のあまりに手短かな報告を悪く解釈して、
グレゴール
Person
が何か手荒なことをやったものと受け取ったことは、
グレゴール
Person
には明らかであった
そのために、
グレゴール
Person
は今度は父親をなだめようとしなければならなかった
というのは、彼には父親に説明して聞かせるひまもなければ、またそんなことができるはずもないのだ
そこで自分の部屋のドアのところへのがれていき、それにぴったりへばりついた
これで、父親は玄関の間からこちらへ入ってくるときに、
グレゴール
Person
は自分の部屋へすぐもどろうというきわめて善良な意図をもっているということ、だから彼を追いもどす必要はなく、ただドアを開けてやりさえすればすぐに消えていなくなるだろうということを、ただちに見て取ることができるはずだ
しかし、父親はこうした微妙なことに気づくような気分にはなっていなかった
入ってくるなり、まるで怒ってもいればよろこんでもいるというような調子で「ああ!」と叫んだ
グレゴール
Person
は
頭
Animal_Part
をドアから引っこめて、父親のほうに
頭
Animal_Part
をもたげた
父親が今突っ立っているような姿をこれまでに想像してみたことはほんとうになかった
とはいっても、最近では彼は新しいやりかたのはい廻る動作にばかり気を取られて、以前のように家のなかのほかのできごとに気を使うことをおこたっていたのであり、ほんとうは前とはちがってしまった家の事情にぶつかっても驚かないだけの覚悟ができていなければならないところだった
それはそうとしても、これがまだ彼の父親なのだろうか
以前
グレゴール
Person
が商売の旅に出かけていくとき、疲れたようにベッドに埋まって寝ていた父、彼が帰ってきた
晩
Time
には
寝巻
Clothing
のままの姿で安楽椅子にもたれて彼を迎えた父、起き上がることはまったくできずに、よろこびを示すのにただ
両腕
Animal_Part
を上げるだけだった父、年に
一、二度
Frequency
の
日曜日
Day_Of_Week
や大きな祭日にまれにいっしょに散歩に出かけるときには、もともとゆっくりと歩く母親と
グレゴール
Person
とのあいだに立って、この
二人
N_Person
よりももっとのろのろと歩き、古い
外套
Clothing
にくるまり、いつでも用心深く身体に当てた撞木
杖
Clothing
をたよりに難儀しながら歩いていき、何かいおうとするときには、ほとんどいつでも立ちどまって、つれの者たちを自分の身のまわりに集めた父、あの老いこんだ父親とこの
眼
Animal_Part
の前の人物とは同じ
人間
Mammal
なのだろうか
以前とちがって、今ではきちんと身体を起こして立っている
銀行の
小使
Position_Vocation
たちが着るような、
金
Color_Other
ボタンのついたぴったり身体に合った
紺色
Nature_Color
の
制服
Fish
を着ている
上衣
Clothing
の高くてぴんと張った
襟
Clothing
の上には、力強い
二重顎
N_Country
が拡がっている
毛深い
Animal_Part
眉
Animal_Part
の下では
黒い
Nature_Color
両眼
Animal_Part
の視線が元気そうに注意深く射し出ている
ふだんはぼさぼさだった
白髪
Animal_Part
はひどくきちんとてかてかな
髪形
Animal_Part
になでつけている
この父親はおそらく銀行のものだと思われる
金
Mineral
モールの文字をつけた制帽を部屋いっぱいに弧を描かせてソファの上に投げ、長い
制服
Clothing
の
上衣
Clothing
のすそをはねのけ、
両手
Animal_Part
を
ズボン
Clothing
のポケットに突っこんで、にがにがしい
顔
Animal_Part
で
グレゴール
Person
のほうへ歩んできた
何をしようというのか、きっと自分でもわからないのだ
ともかく、
両足
Animal_Part
をふだんとはちがうくらい高く上げた
グレゴール
Person
は彼の
靴
Clothing
のかかとがひどく大きいことにびっくりしてしまった
だが、びっくりしたままではいられなかった
父親が自分に対してはただ最大のきびしさこそふさわしいのだと見なしているということを、彼は新しい生活が始った最初の日からよく知っていた
そこで父親から逃げ出して、父親が立ちどまると自分もとまり、父親が動くとまた急いで前へ逃がれていった
こうして
二人
N_Person
は何度か部屋をぐるぐる廻ったが、何も決定的なことは起こらないし、その上、そうした動作の全体がゆっくりしたテンポで行われるので追跡しているような様子は少しもなかった
そこで
グレゴール
Person
も今のところは床の上にいた
とくに彼は、壁や天井へ逃げたら父親がかくべつの悪意を受け取るだろう、と恐れたのだった
とはいえ、こうやって走り廻ることも長くはつづかないだろう、と自分にいって聞かせないではいられなかった
というのは、父親が
一歩
N_Product
で進むところを、彼は数限りない動作で進んでいかなければならないのだ
息切れが早くもはっきりと表われ始めた
以前にもそれほど信頼の置ける
肺
Animal_Part
をもっていたわけではなかった
こうして全力をふるって走ろうとしてよろよろはい廻って、
両眼
Animal_Part
もほとんど開けていなかった
愚かにも走る以外に逃げられる方法は全然考えなかった
四方の壁が自分には自由に歩けるのだということも、もうほとんど忘れてしまっていた
とはいっても、壁はぎざぎざやとがったところがたくさんある念入りに彫刻された家具でさえぎられていた
――そのとき、彼のすぐそばに、何かがやんわりと投げられて落ちてきて、ごろごろところがった
それは
リンゴ
Flora
だった
すぐ
第二
Ordinal_Number
のが彼のほうに飛んできた
グレゴール
Person
は驚きのあまり立ちどまってしまった
これ以上走ることは無益だった
というのは、父親は彼を爆撃する決心をしたのだった
食器台の上の果物皿から
リンゴ
Flora
を取ってポケットにいっぱいつめ、今のところはそうきちんと狙いをつけずに
リンゴ
Flora
をつぎつぎに投げてくる
これらの小さな
赤い
Nature_Color
リンゴ
Flora
は、まるで電気にかけられたように床の上をころげ廻り、ぶつかり合った
やわらかに投げられた
一つ
N_Natural_Object_Other
の
リンゴ
Flora
が
グレゴール
Name_Other
の
背中
Animal_Part
をかすめたが、別に彼の身体を傷つけもしないで滑り落ちた
ところが、すぐそのあとから飛んできたのがまさに
グレゴール
Name_Other
の
背中
Animal_Part
にめりこんだ
突然の信じられない痛みは場所を変えることで消えるだろうとでもいうように、
グレゴール
Person
は身体を前へひきずっていこうとしたが、まるで釘づけにされたように感じられ、五感が完全に混乱してのびてしまった
だんだんかすんでいく最後の視線で、自分の部屋が開き、叫んでいる妹の前に母親が走り出てきた
下着
Clothing
姿だった
妹が、気絶している母親に呼吸を楽にしてやろうとして、服を脱がせたのだった
母親は父親をめがけて走りよった
その途中、とめ金をはずした
スカート
Clothing
などがつぎつぎに床にすべり落ちた
その
スカート
Clothing
などにつまずきながら父親のところへかけよって、父親に抱きつき、父親とぴったり
一つ
Countx_Other
になって――そこで
グレゴール
Person
の視力はもう失われてしまった――
両手
Animal_Part
を父の後頭部に置き、
グレゴール
Person
の命を助けてくれるようにと頼むのだった
グレゴール
Person
が
一月以上
Period_Month
も苦しんだこの重傷は――例の
リンゴ
Name_Other
は、だれもそれをあえて取り除こうとしなかったので、
眼
Animal_Part
に見える記念として肉のなかに残されたままになった――父親にさえ、
グレゴール
Person
はその現在の悲しむべき、またいとわしい姿にもかかわらず、家族の一員であって、そんな彼を敵のように扱うべきではなく彼に対しては嫌悪をじっとのみこんで我慢すること、ただ我慢することだけが家族の義務の命じるところなのだ、ということを思い起こさせたらしかった
ところで、たとい今
グレゴール
Person
がその傷のために身体を動かすことがおそらく永久にできなくなってしまって、今のところは部屋のなかを横切ってはい歩くためにまるで年老いた
傷病兵の
Position_Vocation
ようにとても長い時間がかかるといっても――高いところをはい廻るなどということはとても考えることができなかった――、自分の状態がこんなふうに悪化したかわりに、彼の考えによればつぎの点で十分につぐなわれるのだ
つまり、彼がつい
一、二時間前
Period_Time
にはいつでもじっと見守っていた居間のドアが開けられ、そのために彼は自分の部屋の暗がりのなかに横たわったまま、居間のほうからは姿が見えず、自分のほうからは明りをつけたテーブルのまわりに集っている家族全員を見たり、またいわば公認されて彼らの話を以前とはまったくちがったふうに聞いたりしてもよいということになったのだった
むろん、聞こえてくるのはもはや以前のようなにぎやかな会話ではなかった
グレゴール
Person
は以前は小さなホテルの部屋で、疲れきってしめっぽい寝具のなかに身体を投げなければならないときには、いつもいくらかの渇望をもってそうした会話のことを考えたものだった
ところが今では、たいていはひどく静かに行われるだけだ
父親は夕食のあとすぐに彼の安楽椅子のなかで眠りこんでしまう
母親と妹とはたがいにいましめ合って静かにしている
母親は明りの下にずっと身体をのり出して流行品を扱う洋品店のためのしゃれた下着類をぬっている
売場女店員
Position_Vocation
の地位を得た妹は、
晩
Time
には速記と
フランス語
National_Language
との勉強をしている
おそらくあとになったらもっといい地位にありつくためなのだろう
ときどき父親が
目
Animal_Part
をさます
そして、自分が眠っていたことを知らないかのように、「今晩もずいぶん長いこと裁縫をしているね!」といって、たちまちまた眠りこむ
すると、母親と妹とはたがいに疲れた微笑を交わす
父親は一種の強情さで、家でも自分の
小使
Fish
の
制服
Clothing
を脱ぐことを拒んでいた
そして、
寝巻
Clothing
は役に立たずに衣裳かぎにぶら下がっているが、父親はまるでいつでも勤務の用意ができているかのように、また家でも上役の声を待ちかまえているかのように、すっかり
制服
Clothing
を着たままで自分の席でうたた寝している
そのため、はじめから新しくはなかったこの
制服
Clothing
は、母親と妹とがいくら手入れをしても清潔さを失ってしまった
グレゴール
Person
はしばしば
一晩
Period_Day
じゅう、いつも磨かれている
金
Material
ボタンで光ってはいるが、いたるところにしみがあるこの
制服
Clothing
をながめていた
そんな服を着たまま、この老人はひどく窮屈に、しかし安らかに眠っているのだった
時計が
十時
Time
を打つやいなや、母親は低い声で父親を起こし、それからベッドにいくように説得しようと努める
というのは、ここでやるのはほんとうの眠りではなく、
六時
Time
に勤めにいかなければならない父親にはほんとうの眠りがぜひとも必要なのだ
しかし、
小使
Position_Vocation
になってから彼に取りついてしまった強情さで、いつでももっと長くテーブルのそばにいるのだと言い張るのだが、そのくせきまって眠りこんでしまう
その上、
大骨
Animal_Part
を折ってやっと父親に椅子とベッドとを交換させることができるのだった
すると母親と妹とがいくら短ないましめの言葉でせっついても、
十五分ぐらい
Period_Time
はゆっくりと
頭
Animal_Part
を振り、
眼
Animal_Part
をつぶったままで、立ち上がろうとしない
母親は父親の袖を引っ張り、なだめるような言葉を彼の
耳
Animal_Part
にささやき、妹は勉強を捨てて母を助けようとするのだが、それも父親にはききめがない
彼はいよいよ深く椅子に沈みこんでいく
女たちが彼の
わきの下
Animal_Part
に
手
Animal_Part
を入れるとやっと、
眼
Animal_Part
を開け、母親と妹とをこもごもながめて、いつでもいうのだ
「これが一生さ
これがおれの晩年の安らぎさ」そして、
二人
N_Person
の女に支えられて、まるで自分の身体が自分自身にとって最大の重荷でもあるかのようにものものしい様子で立ち上がり、女たちにドアのところまでつれていってもらい、そこでもういいという合図をし、それからやっと今度は自分で歩いていく
一方、母親は針仕事の道具を、妹はペンを大急ぎで投げ出し、父親のあとを追っていき、さらに父親の世話をするのだ
この働きすぎて疲れきった家庭で、だれがどうしても必要やむをえないこと以上に
グレゴール
Person
なんかに気を使うひまをもっているだろうか
家政
Position_Vocation
はいよいよ切りつめられていった
女中
Position_Vocation
ももうひまを出されていた
頭
Animal_Part
のまわりにぼさぼさの
白髪
Animal_Part
をなびかせている骨ばった
大女
Position_Vocation
が、
朝
Time
と
晩
Time
とにやってきて、いちばんむずかしい仕事をやるようになった
ほかのことはすべて、母親がたくさんの針仕事のかたわら片づけていた
その上、以前には母親と妹とが遊びごとや祝いがあると有頂天になって身につけていたさまざまな家宝の装飾品も、
晩
Time
にみんなが集って売値の相談をしているのを
グレゴール
Person
が聞いたところによると、売られてしまった
だが、最大の嘆きはいつでも、現在の事情にとっては広すぎるこの住居を立ち退くことができないということであった
なぜなら、
グレゴール
Character
をどうやって引っ越させたものか、考えつくことができないからだった
しかし
グレゴール
Person
は、引越しを妨げているものはただ自分に対する顧慮だけではないのだ、ということをよく見抜いていた
というのは、彼のことなら、
一つ二つ
N_Product
空気|孔のついた適当な箱に入れてたやすく運ぶことができるはずだった
この家族の移転を主として妨げているのは、むしろ完全な絶望感であり、
親威
Person
や知人の仲間の
だれ一人
N_Person
として経験しなかったほどに自分たちが不幸に打ちのめされているという思いであった
世間が貧しい人びとから要求しているものを、家族の者たちは極限までやりつくした
父親はつまらぬ
銀行員たち
Position_Vocation
に
朝食
Time
をもっていってやるし、母親は見知らぬ人たちの下着のために身を犠牲にしているし、妹はお客たちの命令のままに売台のうしろであちこちかけ廻っている
しかし、家族の力はもう限度まできているのだ
そして、母親と妹とが、父親をベッドへつれていったあとでもどってきて、仕事の
手
Animal_Part
を休めてたがいに身体をよせ合い、
頬
Animal_Part
と
頬
Animal_Part
とがふれんばかりに坐っているとき、また、今度は母親が
グレゴール
Person
の部屋を指さして「
グレーテ
Person
、ドアを閉めてちょうだい」というとき、そして
二人
N_Person
の女が隣室でよせた
頬
Animal_Part
の
涙
Animal_Part
をまぜ合ったり、あるいはもう
涙
Animal_Part
も出ないでテーブルをじっと見つめているあいだ、
グレゴール
Person
のほうは、ふたたび暗闇のなかにいて、その
背中
Animal_Part
の傷は今はじめて受けたもののように痛み始めるのだった
夜
Time
も
昼
Time
も
グレゴール
Name_Other
はほとんど
一睡
Countx_Other
もしないで過ごした
ときどき彼は、このつぎドアが開いたら家族のいっさいのことはまったく以前のようにまた自分の手に引き受けてやろう、と考えた
彼の
頭
Animal_Part
のなかには、久しぶりにまた
社長
Position_Vocation
や
支配人
Position_Vocation
、
店員たち
Position_Vocation
や見習たち、ひどく
頭
Animal_Part
の鈍い
小使
Position_Vocation
、別な店の
二
N_Product
、三
Time
の友人たち、田舎のあるホテルの客室づき女中、楽しい
かりそめ
Compound
の思い出、彼がまじめに、しかしあまりにのんびり求婚したある
帽子
Clothing
店の
レジスター係
Position_Vocation
の女の子、そんなものがつぎつぎに現われた
――そうしたすべてが見知らぬ人びとやもう忘れてしまった人びとのあいだにまぎれて現われてくる
しかし、彼と彼の家族とを助けてはくれないで、みんな近づきがたい人びとであり、彼らが姿を消すと、
グレゴール
Person
はうれしく思うのだった
ところが、つぎに家族のことなんか心配する気分になれなくなる
ただ彼らの世話のいたらなさに対する怒りだけが彼の心をみたしてしまう
何が食べたいのかも全然考えられないにもかかわらず、少しも
腹
Animal_Part
は空いていなくとも自分にふさわしいものをなんであろうと取るために、どうやったら台所へいくことができるか、などといろいろ計画を立ててみる
今はもう何をやったら
グレゴール
Person
にかくべつ気に入るだろうかというようなことは考えもしないで、妹は
朝
Time
と
正午
Time
に店へ出かけていく前に、何かあり合せの食べものを大急ぎで
グレゴール
Person
の部屋へ
足
Animal_Part
で押しこむ
夕方
Time
には、その食べものがおそらくほんの少し味わわれたか、あるいは――そういう場合がいちばん多かったが――まったく手をつけてないか、ということにはおかまいなしで、箒で一掃きして部屋の外へ出してしまう
部屋の掃除は、今ではいつも妹が
夕方
Time
にやるのだが、もうこれ以上早くはすませられないというほど粗末にやるのだ
汚れた
すじ
Animal_Part
が四方の壁に沿って引かれてあるし、そこかしこにはごみと汚れものとのかたまりが横たわっている始末だ
はじめのうちは、妹がやってくると、
グレゴール
Person
はそうしたとくに汚れの目立つ片隅の場所に坐りこんで、そうした姿勢でいわば妹を非難してやろうとした
しかし、きっと何週間もそこにいてみたところで、妹があらためるということはないだろう
妹も彼とまったく同じくらいに汚れを見ているのだが、妹はそれをほっておこうと決心したのだ
その場合に妹は、およそ家族全員をとらえてしまった、これまでの彼女には見られなかったような敏感さで、
グレゴール
Person
の部屋の掃除は今でも自分の仕事であるという点を監視するのだった
あるとき、母親が
グレゴール
Person
の部屋の大掃除を企てた
母親はただ
二、三杯
N_Product
のバケツの水を使うことだけでその掃除をやり終えることができた
――とはいっても、部屋がびしょぬれになって
グレゴール
Person
は機嫌をそこねてしまい、ソファの上にどっかと、腹立たしげに身動きもしないで構えていた――ところが、母親にその罰が訪れないではいなかった
というのは、
夕方
Time
、妹が
グレゴール
Person
の部屋の変化に気づくやいなや、彼女はひどく侮辱されたと感じて居間にかけこみ、母親が
両手
Animal_Part
を高く上げて嘆願するにもかかわらず、身をふるわせて泣き始めた
両親は――父親はむろん安楽椅子からびっくりして跳ね起きたのだった――はじめはそれにびっくりして、途方にくれてながめていたが、ついに
二人
N_Person
も動き出した
右側では父親が、
グレゴール
Person
の部屋の掃除は妹にまかせておかなかったというので母親を責めるし、左側では妹のほうが、もう
二度
Frequency
と
グレゴール
Person
の部屋の掃除はしてやらないとわめく
母親は、興奮してわれを忘れている父親を寝室へひきずっていこうとする
妹は泣きじゃくって身体をふるわせながら、小さな
拳
Animal_Part
でテーブルをどんどんたたく
そして
グレゴール
Person
は、ドアを閉めて、自分にこんな光景とさわぎとを見せないようにしようとだれも思いつかないことに腹を立てて、大きな音を出してしっしっというのだった
しかし、たとい妹が勤めで疲れきってしまい、以前のように
グレゴール
Person
の世話をすることにあきあきしてしまっても、母親はけっして妹のかわりをする必要はないし、
グレゴール
Person
もほったらかしにされる心配はなかったろう
というのは、今では例の手伝い婆さんがいたのだ
長い一生をそのたくましい
骨太
Animal_Part
の身体の助けで切り抜けてきたように見えるこの後家婆さんは、
グレゴール
Character
をそれほど嫌わなかった
あるとき、別に好奇心に駆られたというのでもなく、偶然、
グレゴール
Person
の部屋のドアを開け、だれも追い立てるわけでもないのにひどく驚いてしまった
グレゴール
Person
があちこちとはい廻り始めたのをながめると、
両手
Animal_Part
を
腹
Animal_Part
の上に合わせてぽかんと立ちどまっているのだった
それ以来、つねに
朝晩
Time
ちょっとのあいだドアを少しばかり開けて、
グレゴール
Person
のほうをのぞきこむことを忘れなかった
はじめのうちは、
グレゴール
Character
を自分のほうに呼ぼうとするのだった
それには、「こっちへおいで、
かぶと虫
Insect
のじいさん!」とか、「ちょっとあの
かぶと虫
Insect
のじいさんをごらんよ」とか、おそらく婆さんが親しげなものと考えているらしい言葉をかけてくるのだ
こうした呼びかけに対して
グレゴール
Person
は全然返事をせずに、ドアがまったく開けられなかったかのように、自分の居場所から動かなかった
この手伝い婆さんに気まぐれで役にも立たぬじゃまなんかさせていないで、むしろ彼の部屋を毎日掃除するように命じたほうがよかったろうに――ある
早朝
Time
のこと――はげしい雨がガラス窓を打っていた
おそらくすでに
春
Date
が近いしるしだろう――
手伝い婆さん
Position_Vocation
がまた例の呼びかけを始めたとき、
グレゴール
Person
はすっかり腹を立てたので、たしかにのろのろとおぼつかなげにではあったが、婆さんに向って攻撃の身構えを見せた
ところが、手伝い婆さんは恐れもせずに、ただドアのすぐ近くにあった椅子を高く振り上げた
大きく
口
Animal_Part
を開けて立ちはだかっている様子を見ると、
手
Animal_Part
にした椅子が
グレゴール
Person
の
背中
Animal_Part
に振り下ろされたらはじめて
口
Animal_Part
をふさぐつもりなのだ、ということを明らかに示していた
「それじゃあ、それっきりなのかい」と、
グレゴール
Person
がまた向きなおるのを見て言い、椅子をおとなしく部屋の片隅にもどした
グレゴール
Name_Other
は今ではもうほとんど何も食べなくなっていた
ただ、用意された食べもののそばを偶然通り過ぎるときにだけ、遊び
半分
Percent
に
一かけ
Countx_Other
口
Animal_Part
のなかに入れるが、何時間でも
口
Animal_Part
のなかに入れておいて、それからたいていは吐き出すのだ
はじめは、彼に食事をさせなくしているのは、この部屋の状態を悲しむ気持からだ、と考えていたが、部屋がいろいろ変わることにはすぐに慣れてしまった
ほかのところには置くことができない品物はこの部屋に置くという習慣になってしまっていたが、そうした品物はたくさんあった
住居の
一室
N_Facility
を
三人
N_Person
の男の下宿人に貸したからだった
このきまじめな人たちは――
グレゴール
Person
があるときドアのすきまから確認したところによると、
三人
N_Person
とも
顔じゅう
Animal_Part
髯を生やしていた――ひどく整頓が好きで、ただ自分たちの部屋ばかりではなく、ひとたびこの家に間借りするようになったからには、家全体について、ことに台所での整頓のことに気をくばった
不必要なものや汚ないがらくたには我慢できなかった
その上、彼らは調度品の大部分は自分たちのものをもってきていた
そのために多くの品物は不要となったが、それらは売るわけにもいかないし、さりとて捨ててしまいたくもないのだった
そうした品物がみな
グレゴール
Person
の部屋に移されてきた
そんなふうにして、灰捨て箱とくず箱とが台所からやってきた
およそ今のところ不要なものは、いつでもひどくせっかちな手伝い婆さんが簡単に
グレゴール
Person
の部屋へ投げ入れてしまう
ありがたいことに、
グレゴール
Character
にはたいていは運ばれてくる品物とそれをもっている
手
Animal_Part
としか見えなかった
手伝い婆さん
Position_Vocation
はおそらく、いつか機会を見てそれらの品物をまた取りにくるか、あるいは全部を
一まとめ
N_Product
にして投げ捨てるかするつもりだったのだろうが、実際にはそれらを最初投げ入れた場所にほうりぱなしにしておいた
しかし、
グレゴール
Person
はがらくたがじゃまになって、まがりくねって歩かなければならなかったので、それを動かすことがあった
はじめはそうしないとはい廻る場所がなくなるのでしかたなしにやったのだが、のちにはだんだんそれが面白くなったのだった
そうはいうものの、そんなふうにはい廻ったあとでは死ぬほど疲れてしまって悲しくなり、またもや何時間も動かないでいるのだった
下宿人たちはときどき
夕食
Time
も家で共同の居間で取るのだった
そのため居間のドアは多くの
晩
Time
に閉ざされたままだ
だが、
グレゴール
Person
はドアを開けるということをまったく気軽にあきらめた
ドアが開いている多くの
晩
Time
でさえも、それを十分に利用しないでいて、家族には気づかれずに自分の部屋のいちばん暗い片隅に横たわっていた
ところが、あるとき、手伝い婆さんが居間へ通じるドアを少しばかり開け放しにした
下宿人たちが
晩方
Time
入ってきて、明りをつけたときにも、ドアは開いたままだった
三人
N_Person
はテーブルのかみ手に坐った
以前は父親と母親と
グレゴール
Character
とが坐った場所だ
そして
三人
N_Person
は
ナプキン
Clothing
を拡げ、ナイフとフォークとを
手
Animal_Part
に取った
すぐにドアのところに肉の皿をもった母親が現われ、彼女のすぐあとから妹が山盛りの
じゃがいも
Flora
の皿をもって現われた
食べものはもうもうと湯気を立てていた
下宿人たちは食べる前に調べようとするかのように、自分たちの
眼
Animal_Part
の前に置かれた皿の上へ身をかがめた
そして実際、まんなかに坐っていて、ほかの
二人
N_Person
には権威をもっているように見える男が、皿の上で
一片
N_Product
の肉を切った
それが十分柔かいかどうか、台所へ突っ返さなくてもよいかどうか、たしかめようとしているらしかった
しかし、その男が満足したので、緊張してながめていた母親と妹とは、ほっと息をついて微笑し始めた
家族の者たち自身は台所で食事をした
それでも父親は台所へいく前にこの部屋へ入っていき、
一回
Frequency
だけお辞儀をすると、
制帽
Clothing
を
手
Animal_Part
にもち、テーブルのまわりをぐるりと廻る
下宿人たちはみんな立ち上がって、髯のなかで何かをつぶやく
つぎに彼らだけになると、ほとんど完全な沈黙のうちに食事をする
食事中のあらゆる物音からたえずものをかむ
歯
Animal_Part
の音が聞こえてくることが、
グレゴール
Person
には奇妙に思われた
まるで食べるためには
歯
Animal_Part
が必要であり、いくらりっぱでも
歯
Animal_Part
のない顎ではどうすることもできないということを
グレゴール
Person
に示そうとするかのようだった
グレゴール
Person
は心配そうに自分に言い聞かせた
「おれは食欲があるが、あんなものはいやだ
あの人たちはものを食べて栄養を取っているのに、おれは死ぬのだ!」まさにその
夜
Time
のことだったが――あれからずっと、
グレゴール
Person
は
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
の音を聞いたおぼえがなかった――
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
の音が台所から聞こえてきた
下宿人たちはもう
夕食
Time
を終え、まんなかの男が新聞を引っ張り出し、ほかの
二人
N_Person
に
一枚
N_Product
ずつ渡した
そして、
三人
N_Person
とも椅子にもたれて読み、煙草をふかしていた
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
が鳴り始めると、
三人
N_Person
はそれに気づき、立ち上がって、
爪立ち
Animal_Part
で歩いて玄関の間へいき、そこで身体をよせたまま立ちつづけていた
台所にいても彼らの物音が聞こえたらしい
父親がこう叫んだ
「みなさんには
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
の音がお気にさわるんではありませんか
なんならすぐやめさせますが」「どうしまして」と、まんなかの男がいった
「お嬢さんはわれわれのところにこられて、この部屋で弾かれたらどうです?こちらのほうがずっといいし、気持もいいですよ」「それでは、そう願いますか」と、父親はまるで自分が
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
を弾いているかのように答えた
三人
N_Person
は部屋にもどって待っていた
まもなく父親は譜面台をもち、母親は楽譜を、妹はヴァイオリンをもってやってきた
妹は落ちついて演奏の準備をすっかりすませた
両親はこれまで
一度
Frequency
も間貸しをしたことがなく、そのために下宿人たちに対する礼儀の度を超していたが、自分たちの椅子に坐ろうとはけっしてしなかった
父親はドアにもたれ、きちんとボタンをかけた
制服
Clothing
の
上衣
Clothing
のボタン
二つ
N_Product
のあいだに
右手
Animal_Part
をさし入れていた
母親のほうは下宿人の
一人
N_Person
に椅子をすすめられ、その人が偶然すすめた椅子が部屋のわきのほうの片隅にあったので、そこに坐りつづけていた
妹は弾き始めた
父親と母親とはそれぞれ自分のいる位置から注意深く妹の
両手
Animal_Part
の動きを
目
Animal_Part
で追っていた
グレゴール
Person
は演奏にひきつけられて少しばかり前へのり出し、もう
頭
Animal_Part
を居間へ突っこんでいた
最初は自分が他人のことをもう顧慮しなくなっていることが、彼にはほとんどふしぎに思われなかった
以前には、この他人への顧慮ということが彼の誇りだった
しかも、彼は今こそいっそう自分の身を隠していい理由をもっていた
というのは、部屋のなかのいたるところに横たわっているごみが、ちょっとでも身体を動かすと舞い上がり、そのごみをすっかり身体にかぶっていた
糸くずとか
髪の毛
Animal_Part
とか食べものの残りかすを
背中
Animal_Part
や
わき腹
Animal_Part
にくっつけてひきずって歩いているのだ
あらゆることに対する彼の無関心はあまりに大きいので、以前のように
一日
Period_Day
に何度も仰向けになって、絨毯に身体をこすりつけることもしなくなっていた
こんな状態であるにもかかわらず、少しも気おくれを感じないで、非の打ちどころのないほど掃除のゆきとどいている居間の床の上へ少しばかり乗り出していった
とはいえ、ほかの人たちのほうも彼に気づく者はいなかった
家族の者はすっかり
ヴァイオリン
Sport
の演奏に気を取られていた
それに反して、下宿人たちははじめは
両手
Animal_Part
をポケットに突っこんで、妹の譜面台のすぐ近くに席を占めていた
あまりに近いので
三人
N_Person
とも楽譜をのぞきこめるくらいだった
そんなことをやったら、妹のじゃまになったことだろう
ところが、やがて低い声で話し合いながら、
頭
Animal_Part
を垂れたまま窓のほうへ退いていった
父親が心配そうに見守るうちに、彼らはその窓ぎわにとどまっていた
すばらしい、あるいは楽しいヴァイオリン演奏を聞くつもりなのが失望させられ、演奏全体にあきあきして、ただ儀礼から我慢しておとなしくしているのだということは、実際見ただけではっきりわかることだった
ことに、
三人
N_Animal
が
鼻
Animal_Part
と
口
Animal_Part
とから
葉巻
Flora_Part
の煙を高く吹き出しているやりかたは、ひどくいらいらしているのだということを推量させた
しかし、妹はとても美しく弾いていた
彼女の
顔
Animal_Part
は少し
わき
Animal_Part
に傾けられており、
視線
Animal_Part
は調べるように、また悲しげに楽譜の行を追っている
グレゴール
Person
はさらに少しばかり前へはい出し、
頭
Animal_Part
を床にぴったりつけて、できるなら彼女の視線とぶつかってやろうとした
音楽にこんなに心を奪われていても、彼は動物なのだろうか
彼にはあこがれていた未知の心の糧への道が示されているように思えた
妹のところまで進み出て、彼女の
スカート
Clothing
を引っ張って、それによってヴァイオリンをもって自分の部屋へきてもらいたいとほのめかそう、と決心した
というのは、ここにいる
だれ一人
N_Person
として、彼がしたいと思っているほど彼女の音楽に応える者はいないのだ
彼はもう妹を自分の部屋から出したくなかった
少なくとも自分が生きているあいだは、出したくなかった
彼の恐ろしい姿ははじめて彼の役に立つだろうと思われた
自分の部屋のどのドアも同時に見張っていて、侵入してくる者たちにほえついてやるつもりだ
だが、妹はしいられてではなく、自由意志で自分のところにとどまらなければならない
ソファの上で彼のわきに坐り、
耳
Animal_Part
を彼のほうに傾けてくれるのだ
そこで彼は妹に、自分は妹を
音楽学校
Organization_Other
に入れることにはっきり心をきめていたのであり、もしそのあいだにこんな事故が起こらなかったならば、去年の
クリスマス
Religious_Festival
に――
クリスマス
Religious_Festival
はやっぱりもう過ぎてしまったのだろうか――どんな反対も意に介することなくみんなにいっていたことだろう、と打ち明けてやる
こう説明してやれば、妹は感動の
涙
Animal_Part
でわっと泣き出すことだろう
そこで
グレゴール
Person
は彼女の
肩
Animal_Part
のところまでのび上がって、
首
Animal_Part
に接吻してやるのだ
店へいくようになってからは、妹は
リボン
Clothing
もカラーもつけないで
首
Animal_Part
を丸出しにしているのだった
「
ザムザ
Person
さん
Title_Other
!」と、まんなかの男が父親に向って叫び、それ以上は何もいわずに、
人差指
Animal_Part
でゆっくりと前進してくる
グレゴール
Person
をさし示した
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
の音がやみ、まんなかの下宿人ははじめは
頭
Animal_Part
を振って
二人
N_Person
の友人ににやりと笑って見せたが、つぎにふたたび
グレゴール
Person
を見やった
父親は、
グレゴール
Character
を追い払うかわりに、まず下宿人たちをなだめることのほうがいっそう必要だと考えているようであった
とはいっても、
三人
N_Person
は全然興奮なんかしていないし、
グレゴール
Person
のほうが
ヴァイオリン
Doctrine_Method_Other
の演奏よりも彼らを面白がらせているように見えた
父親は
三人
N_Person
のほうに急いでいき、
両腕
Animal_Part
を拡げて彼らの部屋へ押しもどそうとし、同時に、自分の身体で
グレゴール
Person
の姿が見えなくなるようにしようとした
今度は
三人
N_Person
がほんとうに少しばかり気を悪くした
父親の態度に気を悪くしたのか、
グレゴール
Person
のような隣室の住人がいるものとは知らなかったのに、今やっとそれがわかってきたことに気を悪くしたのか、それはもうなんともいえなかった
三人
N_Person
は父親に説明を求め、
三人
N_Person
のほうで
腕
Animal_Part
を振り上げ、落ちつかなげに髯を引っ張り、ほんのゆっくりした歩みで自分たちの部屋のほうへ退いていった
そうしているあいだに、突然演奏をやめて放心状態でいた妹はやっと正気を取りもどし、しばらくのあいだだらりと垂れた
両手
Animal_Part
にヴァイオリンと弓とをもって、まだ演奏しているかのように楽譜をながめつづけていたが、突然身を起こすと、はげしい
肺
Animal_Part
の活動をともなう呼吸困難に陥ってまだ自分の椅子に坐っていた母親の
膝
Animal_Part
の上に楽器を置き、隣室へとかけこんでいった
三人
N_Person
の下宿人たちは、父親に押しまくられてすでにさっきよりは早い足取りでその部屋へ近づいていた
妹が慣れた手つきでベッドのふとんや枕を高く飛ばしながら寝具の用意を整えるのが見えた
三人
N_Person
が部屋へたどりつくよりも前に、妹はベッドの用意をすませてしまい、ひらりと部屋から脱け出ていた
父親はまたもや気ままな性分にすっかりとらえられてしまったらしく、ともかく下宿人に対して払わなければならないはずの敬意を忘れてしまった
彼は
三人
N_Person
をただ押しまくっていったが、最後に部屋のドアのところでまんなかの人が
足
Animal_Part
を踏み鳴らしたので、父親はやっととまった
「私はここにはっきりというが」と、その人は
片手
Animal_Part
を挙げ、
眼
Animal_Part
で母親と妹とを探した
「この住居および家族のうちに支配しているいとわしい事情を考えて」――ここでとっさの決心をして床につばを吐いた――「私の部屋をただちに出ていくことを通告します
むろん、これまでの
間借
Product_Other
料も全然支払いません
それに反して、きわめて容易に理由づけることができるはずのなんらかの損害賠償要求をもって――いいですかな――あなたを告訴すべきものかどうか、考えてみるつもりです」彼は沈黙して、まるで何かを待ちかまえているかのように自分の前を見つめていた
「われわれもただちに出ていきます」と、はたして彼の
二人
N_Person
の友人もすぐさま口を出した
まんなかの男はドアの取手をつかみ、ばたんと音を立ててドアを閉めた
父親は手探りで自分の椅子までよろめいていき、どかりと
腰
Animal_Part
を下ろした
まるでいつものように
晩
Time
の居眠りをするために
手足
Animal_Part
をのばしたように見えた
だが、ぐらぐらする
頭
Animal_Part
が強くうなずいていることで、彼が全然眠っていないことがわかった
グレゴール
Person
はこうしたことが行われるあいだじゅう、下宿人たちが彼を見つけた場所にじっととどまっていた
自分の計画の失敗に対する失望と、またおそらくはあまりに空腹をつづけたことから起った衰弱とのために、身体を動かすことができなかった
彼はつぎの瞬間にはどっといろいろなものが墜落してくるだろう、と早くもある確信をもって恐れ、それを待ちかまえていた
ヴァイオリン
Position_Vocation
が母親のふるえる
指
Animal_Part
のあいだをすべって
膝
Animal_Part
から床へと落ち、がたんと響きを立てたことも、彼をびっくりさせて動き出させることは全然なかった
「お父さん、お母さん」と、妹はいって、話に入る前に
手
Animal_Part
でテーブルを打った
「もうこれまでだわ
あなたがたはおそらくわからないのでしょうが、わたしにはわかります
こんな怪物の前で兄さんの名前なんかいいたくはないわ
だから、わたしたちはこいつから離れようとしなければならない、とだけいうわ
こいつの世話をし、我慢するために、
人間
Mammal
としてできるだけのことをやろうとしてきたじゃないの
だれだって少しでもわたしたちを非難することはできないと思うわ」「これのいうのはまったくもっともだ」と、父親はつぶやいた
まだ十分に息をつけないでいる母親は、狂ったような目つきをして、
口
Animal_Part
に
手
Animal_Part
を当てて低い音を立てながら
咳
Animal_Part
をし始めた
妹は母親のところへ急いでいき、彼女の
額
Animal_Part
を支えてやった
父親は妹の言葉を聞いて、何か考えがきまったように見えた
身体をまっすぐにして坐ると、下宿人たちの
夕食
Time
からまだテーブルの上に置き放しになっている皿のあいだで
小使
Mammal
の
制帽
Clothing
をもてあそんでいたが、ときどきじっとしている
グレゴール
Character
の上に視線を投げている
「わたしたちはこいつから離れなければならないのよ」と、妹はもっぱら父親に向っていった
母親のほうは咳きこんで何も聞こえないのだ
「こいつはお父さんとお母さんとを殺してしまうわ
そうなることがわたしにはわかっています
わたしたちみんなのように、こんなに苦労して働かなければならないときには、その上に、家でもこんな永久につづく悩みなんか辛抱できないわ
わたしももう辛抱できないわ」そして、彼女ははげしく泣き始めたので、
涙
Animal_Part
が母親の
顔
Animal_Part
の上にかかった
妹は機械的に
手
Animal_Part
を動かしてその
涙
Animal_Part
をぬぐってやった
「お前」と、父親は同情をこめ、まったくそのとおりだというような調子でいった
「でも、どうしたらいいんだろうな?」妹は、途方にくれていることを示すために
肩
Animal_Part
をすぼめた
泣いているあいだに、さっきの断固とした態度とは反対に、どうしていいのかわからなくなっていたのだった
「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親は半ばたずねるようにいった
妹は泣きながらはげしく
手
Animal_Part
を振った
そんなことは考えられない、ということを示すものだった
「あいつがわれわれのことをわかってくれたら」と、父親はくり返して、
眼
Animal_Part
を閉じ、そんなことはありえないという妹の確信を自分でも受け容れていた
「そうしたらおそらくあいつと話をつけることができるんだろうが
だが、こんなふうじゃあねえ――」「あいつはいなくならなければならないのよ」と、妹は叫んだ
「それがただ
一つ
Countx_Other
の手段よ
あいつが
グレゴール
Character
だなんていう考えから離れようとしさえすればいいんだわ
そんなことをこんなに長いあいだ信じていたことが、わたしたちのほんとうの不幸だったんだわ
でも、あいつが
グレゴール
Character
だなんていうことがどうしてありうるでしょう
もしあいつが
グレゴール
Ethnic_Group_Other
だったら、
人間
Mammal
たちがこんな動物といっしょに暮らすことは不可能だって、とっくに見抜いていたでしょうし、自分から進んで出ていってしまったことでしょう
そうなったら、わたしたちにはお兄さんがいなくなったでしょうけれど、わたしたちは生き延びていくことができ、お兄さんの思い出を大切にしまっておくことができたでしょう
ところが、この動物はわたしたちを追いかけ、下宿人たちを追い出すのだわ
きっと住居全体を占領し、わたしたちに通りで
夜
Time
を明かさせるつもりなのよ
ちょっとみてごらんなさい、お父さん」と、妹は突然叫んだ
「またやり出したわよ!」そして、
グレゴール
Person
にもまったくわからないような恐怖に襲われて、妹は母親さえも離れ、まるで、
グレゴール
Person
のそばにいるよりは母親を犠牲にしたほうがましだといわんばかりに、どう見ても母親を椅子から突きとばしてしまい、父親のうしろへ急いで逃げていった
父親もただ娘の態度を見ただけで興奮してしまい、自分でも立ち上がると、妹をかばおうとするかのように
両腕
Animal_Part
を彼女の前に半ば挙げた
しかし、
グレゴール
Person
は、だれかを、まして妹を不安に陥れようなどとは考えてもみなかった
彼はただ、自分の部屋へもどっていこうとして、身体の向きを変え始めていただけだった
そうはいっても、その動作がひどく目立った
今の苦しい状態のために、困難な回転をやる場合に頭の助けを借りなければならなかったからだ
そこで
頭
Animal_Part
を何度ももたげては、床に打ちつけた
彼はじっととまって、あたりを見廻した
彼の善意はみとめられたようだった
人びとはただ一瞬ぎょっとしただけだった
そこでみんなは、沈黙したまま、悲しげに彼をじっと見つめた
母親は
両脚
Animal_Part
をぴったりつけたまま前へのばして、椅子に坐っていた
疲労のあまり、
眼
Animal_Part
がほとんど自然に閉じそうだった
父親と妹とは並んで坐り、妹は
片手
Animal_Part
を父親の
首
Animal_Part
に廻していた
「これでもう向きを変えてもいいだろう」と、
グレゴール
Person
は考えて、彼の仕事にまた取りかかった
骨
Animal_Part
が折れるために息がはあはあいうのを抑えることはできなかった
そこで、ときどき休まないではいられなかった
ところで、彼を追い立てる者はいなかった
万事は彼自身のやるがままにまかせられた
回転をやり終えると、すぐにまっすぐにはいもどり始めた
自分と自分の部屋とを距てている距離が大きいことにびっくりした
そして、身体が衰弱しているのにどうしてついさっきはこの同じ道を、こんなに遠いとはほとんど気づかないではっていけたのか、理解できなかった
しょっちゅうただ早くはっていくことだけを考えて、家族の者が言葉や叫び声をかけて彼をじゃますることはない、というのには気づかなかった
もうドアのところにまで達したときになってやっと、
頭
Animal_Part
を振り返らせてみた
完全に振り返ったのではない
というのは、
首
Animal_Part
がこわばっているのを感じたのだった
ともあれ、自分の背後では何一つ変化が起っていないことを見て取った
ただ妹だけが立ち上がっていた
彼の最後の視線が母親の上をかすめた
母親はもう完全に眠りこけていた
自分の部屋へ入るやいなや、ドアが大急ぎで閉められ、しっかりととめ金がかけられ、閉鎖された
背後に突然起った大きな物音に
グレゴール
Person
はひどくびっくりしたので、小さな
脚
Animal_Part
ががくりとした
あんなに急いだのは妹だった
もう立ち上がって待っていて、つぎにさっと飛んできたのだった
グレゴール
Character
には妹がやってくる足音は全然聞こえなかった
ドアの鍵を廻しながら、「とうとうこれで!」と、妹は叫んだ
「さて、これで?」と、
グレゴール
Person
は自分にたずね、暗闇のなかであたりを見廻した
まもなく、自分がもうまったく動くことができなくなっていることを発見した
それもふしぎには思わなかった
むしろ、自分がこれまで実際にこのかぼそい
脚
Animal_Part
で身体をひきずってこられたことが不自然に思われた
ともかく割合に身体の工合はいいように感じられた
なるほど身体全体に痛みがあったが、それもだんだん弱くなっていき、最後にはすっかり消えるだろう、と思われた
柔かいほこりにすっかり被われている
背中
Animal_Part
の腐った
リンゴ
Flora
と炎症を起こしている部分とは、ほとんど感じられなかった
感動と愛情とをこめて家族のことを考えた
自分が消えてしまわなければならないのだという彼の考えは、おそらく妹の意見よりももっと決定的なものだった
こんなふうに空虚なみちたりたもの思いの状態をつづけていたが、ついに塔の時計が
朝の三時
Time
を打った
窓の外ではあたりが明るくなり始めたのを彼はまだ感じた
それから、
頭
Animal_Part
が意に反してすっかりがくりと沈んだ
彼の
鼻孔
Animal_Part
からは最後の息がもれて出た
朝
Time
早く手伝い婆さんがやってきたとき――いくらそんなことをやらないでくれと頼んでも、力いっぱいに大急ぎでどのドアもばたんばたんと閉めるので、この女がやってくると、家じゅうの者はもう静かに眠っていることはできなかった――いつものようにちょっと
グレゴール
Person
の部屋をのぞいたが、はじめは別に異常をみとめなかった
グレゴール
Person
はわざとそんなふうに身動きもしないで横たわって、ふてくされて見せているのだ、と手伝い婆さんは思った
彼女は
グレゴール
Person
がありとあらゆる分別をもっているものと思っていた
たまたま長い箒を
手
Animal_Part
にもっていたので、ドアのところからそれで
グレゴール
Person
をくすぐろうとした
ところがなんのききめも現われないので、怒ってしまい、
グレゴール
Person
の身体を少しつついた
彼がなんの抵抗も示さずに寝ているところからずるずると押しやられていったときになってはじめて、女はおかしいな、と思った
まもなく真相を知ると
眼
Animal_Part
を丸くし、思わず
口笛
Clothing
のような音を出したが、たいしてそこにとどまってはいず、寝室のドアをさっと開いて、大きな声で暗闇に向って叫んだ
「ちょっとごらんなさいよ
のびていますよ
ねていますよ
すっかりのびてしまっていますよ!」
ザムザ
Person
夫妻はダブル・ベッドの上にまっすぐに身体を起こし、手伝い婆さんのいうことがわかるより前に、まずこの女にびっくりさせられた気持をしずめなければならなかった
だが、事情がのみこめると夫婦はそれぞれ自分の寝ていた側から急いでベッドを下りた
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は毛布を
肩
Animal_Part
にかけ、
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
はただ
寝巻
Clothing
のままの姿で出てきた
二人
N_Person
はそんな恰好で
グレゴール
Person
の部屋へ入っていった
そのあいだに、下宿人がやってきて以来
グレーテ
Name_Other
が寝るようになった居間のドアも開けられた
グレーテ
Name_Other
は全然眠らなかったように、完全な身支度をしていた
彼女の
蒼い
Nature_Color
顔
Animal_Part
も、眠っていないことを証明しているように思われた
「死んだの?」と、
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
はいって、たずねるように
手伝い婆さん
Position_Vocation
を見上げた
とはいっても自分で調べることができるし、また調べなくともわかることだった
「そうだと思いますね」と、
手伝い婆さん
Position_Vocation
はいって、それを証明するために
グレゴール
Person
の死骸を箒でかなりの距離押してやった
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
は、箒を押しとめようとするような動作をちょっと見せたが、実際にはそうはしなかった
「これで」と、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
がいった
「神様に感謝できる」彼は十字をきった
三人
N_Person
の女たちも彼のやるとおり見ならった
死骸から
眼
Animal_Part
を放さないでいた
グレーテ
Person
がいった
「ごらんなさいな
なんてやせていたんでしょう
もう長いこと全然食べなかったんですものね
食べものは入れてやったときのままで出てきたんですもの」事実、
グレゴール
Person
の身体はまったくぺしゃんこでひからびていて、もう小さな
脚
Animal_Part
では身体がもち上げられなくなり、そのほかの点でも人の注意をそらすようなものがまったくなくなってしまった今になってやっと、そのことがわかるのだった
「
グレーテ
Person
、ちょっとわたしたちの部屋へおいで」と、
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
は悲しげな微笑を浮かべていった
グレーテ
Name_Other
は死骸のほうを振り返らないではいられなかったが、両親につづいて寝室へ入っていった
手伝い婆さんはドアを閉め、窓をすっかり開けた
朝
Time
が早いにもかかわらず、すがすがしい空気にはすでにいくらかなま暖かさがまじっていた
もう
三月の末
Date
だった
三人
N_Person
の下宿人が自分たちの部屋から出てきて、びっくりしたように自分たちの朝食を探してあたりをきょろきょろ見廻した
朝食の用意は忘れられていた
「
朝食
Time
はどこにあるんだ?」と、まんなかの人がぶつぶつ言いながら手伝い婆さんにたずねた
ところが婆さんは
口
Animal_Part
に
指
Animal_Part
をあてて、黙ったまま急いで、
グレゴール
Person
の部屋へいってみるように、という合図をしてみせた
三人
N_Person
はいわれたとおりに部屋へいき、いくらかくたびれた
上衣
Clothing
のポケットに
両手
Animal_Part
を突っこんだまま、今ではもう明るくなった部屋のなかで
グレゴール
Character
の死骸のまわりに立った
そのとき寝室のドアが開いて、
制服
Mineral
姿の
ザムザ
Person
氏
Title_Other
が現われ、一方の
腕
Animal_Part
で妻を抱き、もう一方の
腕
Animal_Part
で娘を抱いていた
みんな少し泣いたあとだった
グレーテ
Name_Other
はときどき
顔
Animal_Part
を父親の
腕
Animal_Part
に押しつけた
「すぐ私の家を出ていっていただきましょう!」と、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
はいって、
二人
N_Person
の女を身体から離さないでドアを指さした
「それはどういう意味なんです?」と、まんなかの人は少し驚きながらいって、やさしそうな微笑をもらした
ほかの
二人
N_Person
は
両手
Animal_Part
を
背中
Animal_Part
に廻して、たえずこすっている
まるで自分たちに有利な結果に終わるにきまっている大きな争いをうれしがって待ちかまえているようだった
「今申しているとおりの意味です」と、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は答え、
二人
N_Person
の女と一直線に並んで下宿人たちのほうへ近づいていった
例の人ははじめのうちはじっと立ったまま、事柄を頭のなかでまとめて新しく整理しようとするかのように、床を見つめていた
「それでは出ていきましょう」と、いったが、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
を見上げた
まるで突然襲われたへりくだった気持でこの決心にさえ新しい許可を求めているかのようだった
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は大きな
眼
Animal_Part
をしてただ何度かうなずいて見せるだけだった
それからその人はほんとうにすぐ大股で玄関の間へと歩いていった
二人
N_Person
の友人はしばらく
両手
Animal_Part
の動きをすっかりとめたまま聞き耳を立てていたが、例の人のあとを追って飛んでいった
まるで
ザムザ
Person
氏
Title_Other
が自分たちより前に玄関の間に入って、自分たちの指導者である例の人との連絡をじゃまするかもしれないと不安に思っているようであった
玄関の間で
三人
N_Person
はそろって衣裳かけから
帽子
Clothing
を取り、ステッキ立てからステッキを抜き出し、無言のままお辞儀をして、住居を出ていった
すぐわかったがまったくいわれのない不信の念を抱きながら、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は
二人
N_Person
の女をつれて玄関口のたたきまで出ていった
そして、
三人
N_Person
がゆっくりとではあるが、しかししっかりとした足取りで長い階段を降りていき、
一階
Facility_Part
ごとに階段部の一定の曲り角へくると姿が消え、そしてまたすぐに現われてくるのを、手すりにもたれてながめていた
下へ降りていくにつれて、それだけ
ザムザ家
Family
の関心は薄らいでいった
この
三人
N_Person
に向って、そしてつぎには
三人
N_Person
の頭上高く
一人
N_Person
の肉屋の
小僧
Position_Vocation
が
頭
Animal_Part
の上に荷をのせて誇らしげな態度でのぼってきたとき、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は女たちをつれて手すりから離れ、まるで気が軽くなったような様子で自分たちの住居へもどっていった
彼らは今日という日は休息と散歩とに使おうと決心した
こういうふうに仕事を中断するには十分な理由があったばかりでなく、またそうすることがどうしても必要だった
そこでテーブルに坐って
三通
N_Event
の欠勤届を書いた
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は銀行の重役宛に、
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
は内職の注文をしてくれる人宛に、そして
グレーテ
Name_Other
は店主宛に書いた
書いているあいだに手伝い婆さんが入ってきた
もう帰ると言いにきたのだった
というのは、
朝
Time
の仕事は終っていた
届を書いていた
三人
N_Person
ははじめはただうなずいてみせるだけで
眼
Animal_Part
を上げなかったが、
手伝い婆さん
Position_Vocation
がまだその場を離れようとしないので、やっと怒ったように見上げた
「何か用かね?」と、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
がたずねた
手伝い婆さん
Position_Vocation
は微笑しながらドアのところに立っていたが、家族の者たちに大きな幸福について知らせてやることがあるのだが、徹底的にたずねてくれなければ知らせてはやらない、といわんばかりであった
帽子
Clothing
の上にほとんどまっすぐに立っている小さな駝鳥の
羽根飾り
Clothing
は、彼女が勤めるようになってから
ザムザ
Person
氏
Title_Other
が腹を立てていたものだが、それが緩やかに四方へゆれている
「で、いったいどんな用なの?」と、
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
がたずねた
手伝い婆さん
Position_Vocation
はそれでもこの
夫人
Title_Other
をいちばん尊敬していた
「はい」と、
手伝い婆さん
Position_Vocation
は答えたが、親しげな笑いのためにすぐには話せないでいる
「隣りのものを取り片づけることについては、心配する必要はありません
もう片づいています」
ザムザ
Person
夫人
Title_Other
と
グレーテ
Person
とはまた書きつづけようとするかのように手紙にかがみこんだ
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は、
手伝い婆さん
Position_Vocation
がいっさいをくわしく説明し始めようとしているのに気づいて、手をのばして断固として拒絶するということを示した
女は話すことが許されなかったので、自分がひどく急がなければならないことを思い出し、侮辱されたように感じたらしく「さよなら、みなさん」と叫ぶと、乱暴に向きなおって、ひどい音を立ててドアを閉め、住居を出ていった
「
夕方
Time
、あの女にひまをやろう」と、
ザムザ
Person
氏
Title_Other
はいったが、妻からも娘からも返事をもらわなかった
というのは、
手伝い婆さん
Position_Vocation
がこの
二人
N_Person
のやっと得たばかりの落ちつきをまたかき乱してしまったらしかった
二人
N_Person
は立ち上がって、窓のところへいき、抱き合って立っていた
ザムザ
Person
氏
Title_Other
は彼の椅子に腰かけたまま
二人
N_Person
のほうを振り返って、しばらくじっと
二人
N_Person
を見ていた
それから叫んだ
「さあ、こっちへこいよ
もう古いことは捨て去るのだ
そして、少しはおれのことも心配してくれよ」すぐ
二人
N_Person
の女は彼のいうことを聞き、彼のところへもどって、彼を愛撫し、急いで欠勤届を書いた
それから
三人
N_Person
はそろって住居を出た
もう何カ月もなかったことだ
それから電車で郊外へ出た
彼ら
三人
N_Person
しか客が乗っていない電車には、暖かい陽がふり注いでいた
三人
N_Person
は座席にゆっくりともたれながら、未来の見込みをあれこれと相談し合った
そして、これから先のこともよく考えてみるとけっして悪くはないということがわかった
というのは、
三人
N_Person
の仕事は、ほんとうはそれらについておたがいにたずね合ったことは全然なかったのだが、まったく恵まれたものであり、ことにこれからあと大いに有望なものだった
状態をさしあたりもっとも大幅に改善することは、むろん住居を変えることによってできるにちがいなかった
彼らは、
グレゴール
Person
が探し出した現在の住居よりももっと狭くて家賃の安い、しかしもっといい場所にある、そしてもっと実用的な住居をもとうと思った
こんな話をしているあいだに、
ザムザ
Person
夫妻はだんだんと元気になっていく娘をながめながら、
頬
Animal_Part
の色も蒼ざめたほどのあらゆる心労にもかかわらず、彼女が最近ではめっきりと美しくふくよかな娘になっていた、ということにほとんど同時に気づいたのだった
いよいよ無口になりながら、そしてほとんど無意識のうちに視線でたがいに相手の気持をわかり合いながら、りっぱなおむこ
さん
Title_Other
を彼女のために探してやることを考えていた
目的地の停留場で娘がまっさきに立ち上がって、その若々しい身体をぐっとのばしたとき、老夫妻にはそれが自分たちの新しい夢と善意とを裏書きするもののように思われた